
記憶が80分しかもたない数学博士と、その家政婦と息子の3人の温かな絆を、数式の美しさを織り交ぜながら紡いだ物語。
自分が小学生くらいのころに一度読んだきり、20年ぶりくらいに読み返しました。大人になって読んでも感動できる名作です。
本当に正しい証明は、一分の隙もない完全な強固さとしなやかさが、矛盾せず調和しているものなのだ。なぜ星が美しいか、誰も説明できないのと同じように、数学の美を表現するのも困難だがね。
博士
あらすじ
主人公の「私」は、家政婦組合の紹介で博士のもとへ派遣されまし。30代で組合の中では一番若いが、キャリアは10年、どんな顧客ともうまくやってきた自負があります。
博士は64歳の数論専門の元大学教師。しかし彼の顧客カードにはクレームにより家政婦が変わった記録が8回あります。
面接で博士の義姉に求められたのは、難しいことはなくただ食事から家事までの世話。ただし博士のいる離れと母屋を行き来しないことと、トラブルは必ず離れの中で治めることが条件でした。
しかし大きな問題が一つ。それは博士は記憶がきっかり80分しかもたないこと。17年前の交通事故により記憶障害が現れ、事故以前の記憶はあるが、それ以降は常に80分しかもちません。頭の中に80分のビデオテープしかセットできず、常にそれを上書きしながら生きているイメージ。
初対面でいきなり靴のサイズや電話番号など数字にまつわる質問を投げかけられた家政婦。靴のサイズが24と答えると、博士は「4の階乗だ」と数字に意味を見つけて喜びます。
普段は背広姿だが、普通の人と違うのは背広のあちこちにメモ用紙をクリップでとめていること。80分の記憶を補うために忘れてはならない事柄をメモして、そのメモの存在すら忘れないように体に貼りつけています。
博士の日常は、数学マニア向けの雑誌に載っている問題を解いて応募すること。金持ちの数学愛好家が賞金を出していて運が良ければお金がもらえます。そうでなくとも博士のかつての仕事や、事故の補償などで生きていくには困らないでしょう。ただ数学への愛と好奇心で雑誌懸賞に取り組んでいます。
博士のもとで働き始めて2週間が経過したころに、袖口に新しいメモ「新しい家政婦さん」が追加されていた。
ある日の仕事中に私に10歳の息子がいる話になりました。シングルマザーなのでいつも家で一人留守番をしています。すると博士はそれはいかん、絶対に一人にさせないで職場(博士の家)に連れてくるように強く言います。そうして家政婦に息子がいると背広のメモを新たに追加しました。
博士は子供に対してはとにかく寛容で過保護な性格でした。「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」そういって息子を名付けてやります。
博士はルートの宿題をみてやったりと、これから私と息子と博士の奇妙な3人の生活が続きます。
書評
家政婦と息子と博士。家族とはまた違った、人とのつながりを感じる心温まる作品です。全体的に内容が易しいので、大人になって読み返しても子供の頃に得た読後感とあまり変わりませんでした。子供から大人まで広い人に受け入れられやすい、読みやすい本ということですね。
タイトルに数式とありますが、算数や数学が苦手だった人も安心してください。主人公の家政婦も数学は苦手だけど、博士の話す美しい数式にどんどんと引き込まれていき、博士を理解しようと努める家政婦がその数式を文学的に昇華してくれるようでした。
そして博士の記憶が80分しか持たない点ですね。
家政婦が毎日訪ねても、仕事の始まりはいつも自己紹介からのスタート。前日までに交わしていた会話の文脈は一切なくなるし、博士に出会って間もない頃は戸惑うことが多かったです。
逆にその記憶の忘却が良い方向に働くこともありました。博士の数学の話が難しくても何回でも遠慮なく同じ質問をできること。ちょっとした失言があっても次の日には忘れてくれていることなど。
記憶がなくなるのにどうやって関係性を築いていくのか、そもそも関係を築いていくことに意味があるのか。ほかの家政婦が手に負えなくても、主人公は最大限に博士の人間性と記憶の特性の理解に努めていました。そして博士の記憶がなくなることに配慮をしながらも、今を生きるこの瞬間を大事にしようとしていました。
毎日がリセットされる博士だけど、それでも確実に博士と家政婦と息子の関係性が少しずつ深まっているのが分かってきます。私はここに人間関係がいかに相手の理解に努めようとする姿勢が重要であるかが読みとれると思います。
義姉(未亡人)の真意
未亡人の義姉は、家政婦の仕事以上の干渉に対してやたら過剰な反応を示していました。
作中に博士と義姉の2人が仲睦まじく映る写真が発見さており、明言されてはいませんが、博士と義姉が恋仲であったであろうことが想像できます。単純に考えれば義姉の家政婦に対する嫉妬とも思えるでしょう。
読者の想像にゆだねられる部分ではありますが、おそらく義姉は博士に余計な心労や混乱を与えないように離れと母屋でなるべく接触しないようにしていました。
あるいは博士の記憶が事故以前しか保たれていないとなると、博士の中の義姉はもっと若い姿のままのはず。義姉はすでに年老いた自分の姿と博士の記憶の中の自分とでギャップを感じられたくなかったとも思われます。
そう思うとわざわざ家政婦を雇って博士の世話を任せていることにも納得できます。
なぜオイラーの公式だった
博士がオイラーの公式のメモを置いて退室し、険悪な空気を治めた場面がありました。なぜオイラーの公式を見た義姉は引き下がり、一度クビにした家政婦を復帰させたのでしょうか。
ある数学者が素晴らしい考察をブログに残しているので要約して紹介します。
※オイラーは人類最高の数学者で円周率、虚数単位、三角関数などを定義しました。自然対数の底eはオイラーのEulerにちなんでいます。並の数学者が生涯に書き上げる論文を1年弱で書き上げていたほど多くの実績があります。
π、e、iという数学上まったく無関係にそれぞれ研究されてきた基本定数と、最小の自然数である1を組み合わせると0になってしまう、その極めて簡潔なところに感覚的な美しさがあると思われます。
まさにこのπ、e、iが、博士と家政婦とルートの3人を示しており、それぞれ無関係だった三者が綺麗に収束していく先行きを理解して義姉は引き下がったと思われます。
オイラーの公式の部分だけは、数学的にも文学的にも読み解くにはちょっと難しいですね。