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【博士の愛した数式】記憶と数学の美しさについての物語

記憶が80分しかもたない数学博士と、その家政婦と息子の3人の温かな絆を、数式の美しさを織り交ぜながら紡いだ物語。

自分が小学生くらいのころに一度読んだきり、20年ぶりくらいに読み返しました。大人になって読んでも感動できる名作です。

本当に正しい証明は、一分の隙もない完全な強固さとしなやかさが、矛盾せず調和しているものなのだ。なぜ星が美しいか、誰も説明できないのと同じように、数学の美を表現するのも困難だがね。

博士
小川洋子

1962年岡山県生まれ小説家。1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞、後に数々の文学賞を受賞している。

あらすじ

主人公の「私」は、家政婦組合の紹介で博士のもとへ派遣されまし。30代で組合の中では一番若いが、キャリアは10年、どんな顧客ともうまくやってきた自負があります。

博士は64歳の数論専門の元大学教師。しかし彼の顧客カードにはクレームにより家政婦が変わった記録が8回あります。

面接で博士の義姉に求められたのは、難しいことはなくただ食事から家事までの世話。ただし博士のいる離れと母屋を行き来しないことと、トラブルは必ず離れの中で治めることが条件でした。

しかし大きな問題が一つ。それは博士は記憶がきっかり80分しかもたないこと。17年前の交通事故により記憶障害が現れ、事故以前の記憶はあるが、それ以降は常に80分しかもちません。頭の中に80分のビデオテープしかセットできず、常にそれを上書きしながら生きているイメージ。

初対面でいきなり靴のサイズや電話番号など数字にまつわる質問を投げかけられた家政婦。靴のサイズが24と答えると、博士は「4の階乗だ」と数字に意味を見つけて喜びます。

普段は背広姿だが、普通の人と違うのは背広のあちこちにメモ用紙をクリップでとめていること。80分の記憶を補うために忘れてはならない事柄をメモして、そのメモの存在すら忘れないように体に貼りつけています。

博士の日常は、数学マニア向けの雑誌に載っている問題を解いて応募すること。金持ちの数学愛好家が賞金を出していて運が良ければお金がもらえます。そうでなくとも博士のかつての仕事や、事故の補償などで生きていくには困らないでしょう。ただ数学への愛と好奇心で雑誌懸賞に取り組んでいます。

博士のもとで働き始めて2週間が経過したころに、袖口に新しいメモ「新しい家政婦さん」が追加されていた。

ある日の仕事中に私に10歳の息子がいる話になりました。シングルマザーなのでいつも家で一人留守番をしています。すると博士はそれはいかん、絶対に一人にさせないで職場(博士の家)に連れてくるように強く言います。そうして家政婦に息子がいると背広のメモを新たに追加しました。

博士は子供に対してはとにかく寛容で過保護な性格でした。「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」そういって息子を名付けてやります。

博士はルートの宿題をみてやったりと、これから私と息子と博士の奇妙な3人の生活が続きます。

書評

家政婦と息子と博士。家族とはまた違った、人とのつながりを感じる心温まる作品です。全体的に内容が易しいので、大人になって読み返しても子供の頃に得た読後感とあまり変わりませんでした。子供から大人まで広い人に受け入れられやすい、読みやすい本ということですね。

タイトルに数式とありますが、算数や数学が苦手だった人も安心してください。主人公の家政婦も数学は苦手だけど、博士の話す美しい数式にどんどんと引き込まれていき、博士を理解しようと努める家政婦がその数式を文学的に昇華してくれるようでした。

そして博士の記憶が80分しか持たない点ですね。

家政婦が毎日訪ねても、仕事の始まりはいつも自己紹介からのスタート。前日までに交わしていた会話の文脈は一切なくなるし、博士に出会って間もない頃は戸惑うことが多かったです。

逆にその記憶の忘却が良い方向に働くこともありました。博士の数学の話が難しくても何回でも遠慮なく同じ質問をできること。ちょっとした失言があっても次の日には忘れてくれていることなど。

記憶がなくなるのにどうやって関係性を築いていくのか、そもそも関係を築いていくことに意味があるのか。ほかの家政婦が手に負えなくても、主人公は最大限に博士の人間性と記憶の特性の理解に努めていました。そして博士の記憶がなくなることに配慮をしながらも、今を生きるこの瞬間を大事にしようとしていました。

毎日がリセットされる博士だけど、それでも確実に博士と家政婦と息子の関係性が少しずつ深まっているのが分かってきます。私はここに人間関係がいかに相手の理解に努めようとする姿勢が重要であるかが読みとれると思います。

義姉(未亡人)の真意

未亡人の義姉は、家政婦の仕事以上の干渉に対してやたら過剰な反応を示していました。

作中に博士と義姉の2人が仲睦まじく映る写真が発見さており、明言されてはいませんが、博士と義姉が恋仲であったであろうことが想像できます。単純に考えれば義姉の家政婦に対する嫉妬とも思えるでしょう。

読者の想像にゆだねられる部分ではありますが、おそらく義姉は博士に余計な心労や混乱を与えないように離れと母屋でなるべく接触しないようにしていました。

あるいは博士の記憶が事故以前しか保たれていないとなると、博士の中の義姉はもっと若い姿のままのはず。義姉はすでに年老いた自分の姿と博士の記憶の中の自分とでギャップを感じられたくなかったとも思われます。

そう思うとわざわざ家政婦を雇って博士の世話を任せていることにも納得できます。

なぜオイラーの公式だった

博士がオイラーの公式のメモを置いて退室し、険悪な空気を治めた場面がありました。なぜオイラーの公式を見た義姉は引き下がり、一度クビにした家政婦を復帰させたのでしょうか。

ある数学者が素晴らしい考察をブログに残しているので要約して紹介します。

※オイラーは人類最高の数学者で円周率、虚数単位、三角関数などを定義しました。自然対数の底eはオイラーのEulerにちなんでいます。並の数学者が生涯に書き上げる論文を1年弱で書き上げていたほど多くの実績があります。

π、e、iという数学上まったく無関係にそれぞれ研究されてきた基本定数と、最小の自然数である1を組み合わせると0になってしまう、その極めて簡潔なところに感覚的な美しさがあると思われます。


まさにこのπ、e、iが、博士と家政婦とルートの3人を示しており、それぞれ無関係だった三者が綺麗に収束していく先行きを理解して義姉は引き下がったと思われます。

参考:博士の愛した数式 算チャレ参戦記 村上綾一

オイラーの公式の部分だけは、数学的にも文学的にも読み解くにはちょっと難しいですね。

博士の愛した数式

¥693

博士の愛した数式
小川洋子

あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。第1回本屋大賞受賞。

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【むらさきのスカートの女】不穏な女を巡るストーカー小説

一時期この本がTikTokで多くの人に紹介され気になっており、たいてい内容が「不穏」「不気味」とホラー要素強めな感じで話題になってました。

確かに不穏な空気が漂う世界観ではあるかもしれませんが、読んでみると意外とあっさりしていると思います。

今村夏子

2019年本作「むらさきのスカートの女」で芥川賞を受賞。2020年広島市民賞を受賞した。

あらすじ

語り手である私、通称「黄色いカーディガンの女」が、執拗に「むらさきのスカートの女」を観察して、徹底して一人称視点で進行する物語。まるでストーカーになった気分を味わえる本です。

むらさきのスカートの女の容姿の子細から、職歴、住んでる場所、日々の習慣まですべて把握している私。

その目的はただ彼女と友達になりたいだけでした。私はむらさきのスカートの女が、自分と同じ職場で働くようにどうにか誘導していきます。

友達になるにはまず接点が必要なので、彼女と同じ職場で働くのが最も効果的だろうと思いたちます。彼女がいつも座る公園のベンチに求人情報誌を置いて、私の職場の求人に目印をつけてあげました。それなのに彼女は石鹸工場、肉まん工場、夜勤の棚卸、電話オペレーター、カフェ店員など、私の職場である目的のM&Hホテルに来ません。

3か月経ってようやくお目当ての職場で面接の運びに。常に人手不足で来るもの拒まずだから絶対受かるだろう。

初日にみんなの前で自己紹介するが、声が小さすぎていびられていました。どうやらむらさきのスカートの女の本名は「日野まゆ子」というらしい。

後に所長と発声練習をしてからしっかりと挨拶ができるようになり、周りのスタッフも彼女を見直していきます。仕事を教える塚田チーフは、むらさきのスカートの女の素直な性格、きちんと挨拶できるところに好感をもちました。かわいがってもらい、適度なさぼり方なども教わり、要領よく仕事に順応していく。彼女は通常1~2か月かかるトレーニングをたった5日で終了し、早々にホテル高階層のVIPなフロアを任されました。

ある日、彼女は通勤時に痴漢にあって、それ以来所長の車で迎えに来てもらい出勤するように。職場に馴染んだことや、人間関係が増えたこともあって雰囲気まで変わってきました。化粧っ気がつき、自信がつき、ひとことで言えば美人になりました。

職場ではむらさきのスカートの女と所長が不倫関係にあることが噂されるように。それは事実で、私はある日のデートを1日尾行します。カフェ、映画、本屋、居酒屋とすべて尾行し、居酒屋でも少し離れたカウンターで食事。そして、所長は女の家に泊まりました。

一方で最近ホテルの備品の消耗が激しく、従業員が横領しているのではないかと支配人から全社員が注意を受けます。

所長との不貞や、スピード昇進したこともあって、むらさきのスカートの女は職場で次第に孤立していく。さらに他の人よりも時給が高いなど噂に尾ひれがついて、立場がどんどん悪くなっていきました。所長も危機感を覚えて、彼女に家に訪れ備品を盗んでいることなど白状しなさいと迫ります。これをきっかけに話がこじれて、女は所長をアパートの手すりから突き飛ばしてしまいます。

書評

初めて読む作家でしたが、期待以上の面白さ、純文学よりもエンタメ寄りな感じで楽しめました。

客観的な描写や語りがなく、主人公の一人称視点で話し言葉のように進むので、文章が読みやすいかと思います。そして終始漂う不穏な空気が特徴的ですね。

どこまで観察してるのか、なんでさっさと話しかけないのか、主人公は本当は何が目的なのか?こんな風に気持ちを駆り立てながら読み進めることになるでしょう。

序盤はむらさきのスカートの女が街でちょっと異質な存在であるかのように思われました。見た目はみすぼらしい感じで、一定の習慣に沿って生活しているものの普通の人ではないような雰囲気。

しかし物語が進むにつれて、本当にやばい人間はこの語り手だと気が付き始めます。むしろ、むらさきのスカートの女は、常識的で人間味ある普通の女性だと感じてきました。

語り手がさも普通の行動かのように淡々と話す行動には、冷静になって考えてみるとかなり狂気的なものが多くあります。

  • 肉屋のショーケースにタックルして壊した
  • デートを尾行した居酒屋で無銭飲食
  • 所長が忘れた高級サングラスをパクる

そして終盤でようやく語り手(黄色いカーディガンの女)の正体が明かされます。

信頼できない語り手

この主人公、実は超嘘つきの可能性が高く、彼女の言動には多くの嘘が混じっていると断定していいでしょう。

このような手法を「信頼できない語り手」と呼び、ミステリー作品で読者のミスリードを誘うためによく使われます。それを純文学に持ち込んだのが、この作品に独特の雰囲気を醸し出しているのかもしれません。

私が考察するに、彼女が嘘つきである決定的な証拠がありました。

主人公は下戸だから一切お酒を飲めないと周知させていましたが、彼女はむらさきのスカートの女のデートを尾行した際に、 店でビールを3杯も飲んで食い逃げしました。

このように決定的な証拠を残しつつも、主人公である語り手が信頼できない言動は多く描写されていました。

昨夜のむらさきのスカートの女が何色の何を穿いていたのか、わたしはどうしても思い出すことができなかった

150p

この言動からも、もっと言えば『むらさきのスカートの女』自体が形骸化してないかとすら思われます。客観的なむらさきのスカートの描写がないこと、ただそう呼んでいるだけでむらさきのスカートを着用してるのを観測している場面もありません。

話は分かりやすいですし、ストーリーも不穏な展開を秘めながらも退屈なく進んでいきます。スラスラと読みやすい小説であり、ちょっと踏み込んでみると考察できる楽しみもありました。

むらさきのスカートの女

¥682

むらさきのスカートの女
今村夏子

むらさきのスカートの女を執拗に観察する女の物語。第161回芥川賞受賞作。

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【自分のアタマで考えよう】独自の視点で意見を持つための社会派ブロガーの極意

「知っている」と「考える」はまったく別モノ。

知識は過去の事実の積み重ねで、思考は未来に通用する論理の到達点です。知識の多くは過去において他の人が考えた結果を書籍や講義から記憶しているもので、考えるべき時に知識を取り出すのは他人の思考をただ提示することに変わりません。

この本では自らの頭で考えるための重要なプロセスが解説されています。

ちきりん

政治・経済・国際関係・ビジネス・キャリア・流行など幅広いテーマを、独自の視点や切り口で捉える社会派ブロガー。

概要

会議に結論が出なくてずるずると長引くことがよくあります。何かを決めるときには「情報」とは別に「意思決定プロセス」が必要なのです。

例えば買い物において価格情報をひたすら収集するのではなく、上限の値段を設定してフィルタリングすること。なんとなく夕食を考えながらスーパーへ行くより、メニューとレシピを決めてから買うべきものをリストアップすれば時間もお金も無駄がありません。

意思決定においては今求められている情報に集中することが大切で、最初に考えておくべき決めるプロセスというものがあるのです。

思考は情報収集作業ではなく、インプットした情報をアウトプットして結論に導く変換プロセスです。仮の結論でも間違っていても、なんらかの結論にたどり着くべきでしょう。

「なぜ?」「だから?」と問う

数字を見たら二つの問いを立てます。

数字の背景を探る「なぜ?」と、データの先を考え予測する「だからなんなの?」の二つ。

なぜ売り上げが伸びてるのか、そしてそれは来月にも続くのかあるいは落ち込むのか。数値で反映された事実を、人より深く読み取るために必須の考え方です。

判断基準はシンプルに

選択肢が多く判断基準が複雑になると物事の決定打が欠けます。

レストランを選ぶにしてもジャンル、味、口コミ、雰囲気、価格、立地、予約など総合的に勘案すると必ず一長一短になってしまう。だから予算は〇〇円といった条件を作って判断基準を絞っていくこと。いくつもある判断基準はすべてが同程度の重要度ではないので、その時々にもっとも重要な基準を見極めて判断する決断力が試されています。

判断基準の決定プロセスの一例に、婚活女子マトリクスにおける「相性」と「経済力」があります。相性も経済力も基準以上ならOK、どちらも基準外ならNGとなるのは明確。問題は相性と経済力のどちらかが基準を満たさないときに、どちらの基準を優先して判断材料にするか。

そこで自分軸と相手軸で考えてみましょう。相性は自分の慣れや努力次第で調整できますが、経済力は相手次第になってしまうところが大きいです。つまり相性が良くても経済力のない人より、相性がいまいちでも経済力のある人のほうが婚活女子から見た価値は高い。このような視点を持つことがシンプルな判断基準を備えるということです。

現実的にはもっと複雑な問題が多く、簡単に判断基準を絞り込むことはできませんが、思い切ってシンプルに削っていくことで本質が浮かび上がります。

データをトコトン詰める

本書では日本の自殺人口の多さとその原因データを例に出しています。

全体の自殺要因の多さを数だけで見れば健康問題が顕著で、次いで経済問題が多い。高齢化やうつ病の増加から健康問題と直結させてしまうが、見方を変えると違った側面が見えてきます。

自殺要因を男女別に並べなおすと男性の経済問題が多い。さらに年代推移をみると1998年に男性自殺率が高く、その時代背景には経済危機による金融業界の混乱が関係しています(日本列島総不況年)

対して女性は健康問題がぶっちぎりで多いが、経済問題においての自殺率は相当に低い。

自殺概要資料を一つとっても、ただ表面的な数値をなぞったものと、深く読み込んで考えた内容から受ける印象は大きく変わってきます。

知識は「思考の棚」に整理する

知識と思考の最適な関係は「知識を思考の棚に整理する」ことです。これによって個別の知識が意味を持ってつながり、全体として異なる意味が見えてくることがあります。この統合された知識から出てくる新たな意味を洞察と呼びます。

思考の棚を持っていると、次に知りたい情報を意識的にとらえることができるようになり、欲している情報に敏感になれます。これが知識の正しい格納。

さらに常日頃から考えた仮説を格納しておけば、裏付けとなる新たな情報を入手した際に、瞬発力のある思考の結論を導き出せます。気の利いた意見を述べる頭の回転が速い人は、こういった知識と思考の整理がしっかりできている人です。

書評

2005年から自分の思考をブログに書きしたためている、社会派ブロガーちきりん氏による著書。TwitterやVoicyでよく見ますが、とても参考になる話や的を射た意見が多いです。

SNSで影響力の大きい人にありがちな、とがった発言なども見られないような気がします。きっと長年インターネットを渡り歩いてきた、処世術のようなものがあるのでしょうね。

自分のアタマで考えた意見が常に支持されるとは限りませんが、借り物の意見やつまらない感想を述べる程度から脱却した、社会人としての品のある議論には欠かせないスキルだと思います。

テレビのニュースを見て「へ~」と頷いて次の日には内容を忘れてしまうような人に、思考力を鍛えるトレーニングとしておすすめできる一冊です。

自分のアタマで考えよう

¥1,400

自分のアタマで考えよう 知識にだまされない思考の技術
ちきりん

月間200万PVを誇る人気ブログ「Chikirinの日記」の筆者による初の完全書き下ろし、11万部突破!

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【蛇を踏む】踏んだ蛇が女に化けて家に居たので一緒に住んでみた

藪で、蛇を踏むと「踏まれたので仕方ありません」と声がして、蛇は女になりまし。「あなたのお母さんよ」と、部屋で料理を作って待っていました…。若い女性の自立と孤独を描いた芥川賞受賞作。

軽く読み切れそうな薄い文庫本をと思って手に取った小説でしたが、思いのほか内容が難しくて読むのに苦戦しました。

よくわからないけどね、しょわなくていいものをわざわざしょうことはないでしょ

蛇を踏む コスガ
川上弘美

1996年「蛇を踏む」で第115回芥川賞受賞。その他数々の文学賞を受賞し、その功績から紫綬褒章を受章。芥川賞、谷崎潤一郎賞の選考委員をつとめる。

あらすじ

職場の数珠屋「カナカナ堂」へ向かう途中、公園で蛇を踏んでしまい、その蛇は「踏まれたらおしまいですね」と言い、人間の姿に化けてひわ子の家の方角へ消えていきました。

ひわ子はコスガと一緒に数珠を納品しに甲府のお寺へ行きます。そこで住職が最近蛇が増えてると世間話をしたもので、ひわ子はコスガに蛇を踏んだ話を聞かせました。

部屋に帰ると昼間の蛇が50歳くらいの女に化けて夕飯を作っています。蛇はヒワ子の好きなご飯も、使うべき食器も、ビールにつぎ足されるのが嫌いなことも全て把握しているのです。

蛇にあなたは何者なのかと尋ねると「ヒワ子ちゃんのお母さんよ」と返答。心配になって本当の母である静岡の実家に電話をかけてもいつも通りのやり取りがあっただけで、母と名乗る蛇が何者なのかはわからずじまいでした。

翌日カナカナ堂に出勤するとコスガさんに蛇は追い出しなさいよと忠告されます。

蛇と共に過ごす三日目の晩、食事で気が緩む前に開口一番に蛇の存在を追求しました。しかし何度聞いても蛇の返答は「あなたのお母さんでしょう」と一点張り。

そうして蛇が来てから二週間が過ぎたころ、コスガさんと喫茶店で向かい合い再び蛇のことを聞かれました。そして彼の口からうちにも20年前から蛇が居着いてると告白されます。それはコスガの妻ニシ子についてきた蛇で、ニシ子の叔母だと名乗って最初に追い出せなくなったうちに20年も経っていました。

そんな蛇との共生を嬉々として受け入れてしまってるニシ子のことがコスガは怖いと漏らすのです。

書評

蛇を踏んだ描写や化ける様子など生々しい書き方が特徴的でした。

部屋じゅうに蛇の気配が充満していた。

引出しを開けるとノートやペンの間から小さな蛇が何匹も這いだした。這いだして私の腕から首をのぼり耳の中に入ってくる。痛くはないのだが、外耳道に入り込んだ途端に蛇たちは液体に変わってそのまま奥に流れ込む。冷たい。

まだ入り込んでいない蛇を阻止しようとして首を強く左右に振った。振ると、耳の奥で水に変わった蛇が粘稠性を増しながら内示に向かう。ねばねばとした水が三半規管のあたりを満たす。

蛇を踏む

本書から引用しましたが、文章でありながらなまめかしく不気味に想像させる力を感じます。その想像力を助ける確かな文章力が、さらに世界観全体を不穏に作り上げているような気がするのです。

特にニシ子が蛇に憑かれているのを知ってから、彼女の様子がおかしくなってくる様子が怖いです。

主人公のヒワ子は不器用な性格で、付き合い下手なのがうかがえます。前職は教師として生徒に余計な気をまわして自ら消耗して退職したこと、住職の話を聞いてるとそばを食べるタイミングを失うところ、コーヒーはニシ子さんじゃないと淹れてはいけないと思い込むところ。このどうしようもなく世渡りが下手なところが、蛇につけいれられてるようにも見えてしまいます。とても隙だらけに思えてしまうんですね。

一方で女に化けた蛇が家に住み着いてる事実をすんなり受け入れてるのが不思議。不器用な生き様とは対照的な肝っ玉を見せられているようですが、カフカの「変身」のような実存主義的な文学スタイルとも捉えられそうです。

そして蛇の世界とはなにか。個人的には安楽の世界のようなイメージを抱いています。

不器用で周囲との付き合いが難しいヒワ子、親とも疎遠とは言わぬまでも仲が良いわけでもない。対人関係における適切な距離感をつかめないヒワ子にとって、彼女が蛇に感じた「壁を感じない親密さ」はまさに願ってもないものなのかもしれません。

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【道草を食む】美味しい雑草の生存戦略や不思議な生態、食べる以外の活用法

薬草料理マイスター・自然観察指導員の著者が、ポッドキャスト自然カテゴリ部門にて1位を獲得した不定期配信ラジオ「道草を食む」の書籍化。

なんとも可愛くて、賢くて、意外とおいしい 道草の世界へようこそ

Michikusa
Michikusa

薬草料理マイスター/自然観察指導員、雑草で暮らしを豊かにする方法を模索している。

概要

春夏秋冬の四季を通して楽しめる雑草21種を、その食べ方から生態や文化などの観点からスポットを当てる雑草マニアの本。植物に通じていなくても楽しく読める内容となっています。

ポッドキャストで人気番組となり書籍発売に至った稀有な例。私も楽しみに聞いており、中でも特に身近で分かりやすいお気に入りのエピソードがヨモギの回でした。

ヨモギの新芽は本来春だが、人里近い場所で何度も刈り込まれて再び新芽を出すものは通年入手可能。Michikusaさんはド根性ヨモギと呼んでいるそうです。通常のヨモギより香りが強く単体では使いにくいが、強烈な香りを乳成分でマイルドにするポタージュがおすすめ。

以下、本書で紹介された雑草を四季の中から各1種類ずつ紹介します。

【春】タンポポ 蒲公英 Taraxacum

キク科タンポポ属の多年草。セイヨウタンポポは3~9月で、在来種は種類によりさまざま。花を鼓に見立て、タン、ポン、ポンという音が由来。

亜種や変種を含めて20種以上の在来種で、都市部では主に外来種のセイヨウタンポポか在来種との雑種が多いです。その種類はタンポポの図鑑があるほど。

近年ではタンポポの冠毛が遠くへ飛ぶメカニズムを応用した極小型ドローンなどの技術も期待されています。

食材としても優秀で海外では野菜やハーブとしても食卓に並ぶほど。フランスでは苦味をおさえる遮光栽培もされています。つまり野性のタンポポは苦味があり、それが逆にほろ苦い美味しさでもあるということ。葉はペペロンチーノ、根はきんぴらに、花は彩やサラダなど。果物とあわせたタンポポジャムもよさそうです。

【夏】ツユクサ 露草 Commelina communis

やや湿った道端や畑などで見られるツユクサ科の1年草。ほぼ日本全土に分布して6~9月が収穫適期。彩鮮やかな天然の着色料ともいわれます。

朝早くに咲いて昼頃にはしぼんでしまう特徴があり、一度きりの開花でその日のうちにしぼんでしまう「一日花」と呼びます。しかし繁殖力はすさまじく、一度根をおろすと、刈り取ってもいくらでも再生するので田畑や庭の整備には手を焼くそう。

花の色素は非常に水に溶けやすく、日本の伝統工芸、友禅染の製作にもいかされています。手描き友禅の下書きの際に青花紙という絵の具の原料に用いられています。現在ではかなり限られた技術文化となっていますが。

雑草の中ではくせが少なく見た目も鮮やかなので食事に取り入れるのもおすすめ。花はサラダの彩りや、すりつぶしてゼリーやドリンクの着色に。茎葉はてっぺんのやわらかい若葉をサッと湯がいておひたしに。くせがなく、少しとろみがあり、しゃきっとした歯ごたえがあります。

グリーンの色持ちが良いので、加熱したり乾燥させても褪色しにくい利点があります。なので細かく刻んだものを焼き菓子やポタージュに活用するのもおすすめ。ツユクサパンケーキや、ツユクサの琥珀糖など。

【秋】ススキ 薄 Miscantbus sinensis

日当たりの良い場所に分布するイネ科ススキ属の多年草で、開花期は8~10月で収穫適期は4月~11月。

秋の七草になるほどポピュラーな雑草。オギなどススキとよく似た植物もあるので注意しましょう。

ススキの葉は硬く、ふちにガラス質の細かいトゲが並んでいるので、素手で安易に引き抜こうとしないように。6000万年前はこのケイ酸から構成される小さなトゲは、天敵である多くの草食動物を絶滅に追いやったとも考えられています。動物が進化してイネ科に対応したのが反芻という機能。牛やヤギなどに備わっており、繊維質の植物も消化できるようになりました。

我々は消化できないので、お茶にするのがおすすめ。穀物茶のような香ばしさとほのかな甘みに、すっきりとした味わいです。

【冬】スイバ 酸葉 Rumex acetosa

田畑周辺や河川敷など人里近く開けた土地で見かけます。

その名の通りかじると酸っぱい味がして、ヨーロッパ圏ではソレルやオゼイユという呼び名で野菜やハーブとして栽培される食材。

越冬植物によくみられる特徴の、葉を地面に放射状に這って広げたロゼットになっています。風雪や乾燥から身を守りながら太陽光を効率よく受け取れる生存戦略です。地面に対して面積を多く占有することで、あとから芽吹く植物に対してアドバンテージを保つ効果も。

通常時は明るい緑色をしているが、寒い季節は部分的か全体が真っ赤に紅葉する個体があります。

スイバの酸味を生かした梅肉風は、この赤い葉を収穫したほうがそれらしくなるのでおすすめ。

書評

七草をはじめ、草餅の原料となるヨモギやつくしの佃煮など、雑草は意外にも身近で、日の目を見ることのないものも活用の仕方でとても暮らしが豊かになります。そんな魅力を伝えたいという思いがこもった一冊。

雑草は山菜取りや園芸よりも手軽で、フィールドワーク的な楽しみもあるのがメリット。食べるだけでなく薬効、染料など、先人の知恵がつまった活用まであります。

本書の中でこれだけ覚えておけば役に立ちそうだなという一文。『手で抵抗なく折り取れる箇所』で収穫することが雑草や山菜を収穫するうえでも大切なポイント、とのこと。これに限らない植物もあるかもしれませんが、多くの食用草花に通用する知識は覚えておいて損がありません。

雑草紹介のほかにコラムが10本掲載、丁寧な雑草レシピ、落ち着いたマット調の素敵な写真など、役立つ知識や見て楽しめる要素が満載です。

「花外蜜腺」「バイオミメティクス」「アレロパシー」といった専門用語も時々ありますが、わかりやすい説明も含んでいるので問題なし。

注意喚起として書かれていますが、雑草採取の際はモラルとマナーを守って、毒草や外来生物の扱いに気を付けて行うようにしていきましょう。

ちなみに本書の中で個人的に一番食べてみたいのが「スベリヒユ」でした。地域によっては園芸種として栽培されているようです。肉厚でシャキッとしていて、ぬめりがあり、ほのかな酸味もあって、ダントツで食味の良い雑草だそうです。その上、植物性オメガ3脂肪酸のα-リノレン酸が豊富であったり、スーパーフードと呼ばれるほどポテンシャルのある植物なんですね。

道草を食む

¥1,870

道草を食む 雑草をおいしく食べる実験室
Michikusa

薬草料理マイスター/自然観察指導員 によるPodcastが書籍化!自然カテゴリ1位「道草を食む」を気まぐれに配信。

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【時をかける少女】タイムスリップ小説のロングセラー

放課後の誰もいない理科実験室でガラスの割れる音がした。壊れた試験管の液体から、わたしの知っている甘い香りがただよう。同時に不意に意識を失い床にたおれた和子は、目を覚ましてから時間と記憶をめぐる奇妙な事件が次々に起こる。思春期の少女が体験する不思議な世界と、甘く切ない想いに胸をときめかせるこの永遠の物語も、また時をこえる。

概要文

時を越えてこの本が読みつがれていくことを、読者に対しても伝えているような、なんとも粋な紹介文になっています。

表題作のほか「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」を併録。

筒井康隆

小説家、劇作家、俳優と多彩。特にSF作品は小松左京、星新一と並んで御三家と称される巨匠。

あらすじ

理科教室の掃除を任せられた和子、一夫、吾朗の3人。ごみを捨てに行った和子は理科準備室で怪しい人影を見ました。不審に思って正体を確認しようとすると、焦った人影はガラス容器を落として消えてしまいました。

割れたガラス容器から漏れた液体はラベンダーの香りがして、和子はその匂いを感じ取った直後に意識を失って倒れてしまいます。

一夫と吾朗、そして福島先生は貧血で倒れたのだろうと思い大事には至りませんでした。しかしこの事件が和子に不可解な現象を引き起こしていきます。

事件から3日後の夜にベッドで寝ていると地震が発生。

和子はすぐに避難して外に出ると、近所で火事も発生していました。それが吾朗の家の隣だったから心配で様子を見に行くが、火はすぐに消火されて吾朗も無事でした。

そんな災難の翌朝に和子と吾朗が登校していると大事件が起きます。

横断歩道にトラックがつっこんできたのだが、寝不足で遅刻気味だった2人は焦っていたし判断力も鈍っていたので、和子はトラックに巻き込まれてしまいます。

確実に死んだと思われたが、和子は目を覚ますとまだ登校する前の朝、自分自身の部屋にいました。事故に遭う日よりも前に時間が逆戻りして、現場から遠く離れた自宅のベッドの中にいるのです。

タイムスリップしたのは夜に地震が起こる日だったので、和子にはその日にまた地震が起こること、吾朗の家の近所でボヤが起きることもわかっていました。

この不思議な現象を説明しようもないのだけど、一応、一夫と吾朗に相談してみました。しかし吾朗にとっては家が火事に見舞われるかもなんて縁起でもない話をされたら良い気がしないので、和子は強く批判されてしまいます。一夫は冷静に話を聞いて、とりあえず「今晩本当に地震が起きるのかどうかさえわかればいい」という結論に。

その日の夜。実際に地震は起こったし、近所で火事も発生して、和子の言っていたタイムスリップに真実味が帯びてきました。

和子、一夫、吾朗の3人はこの突拍子もないできごとを真剣に相談できる大人を求めて、担任であり理科の先生である福島先生にのもとへ行きます。信じてくれるかどうか不安ですが、福島先生は話を真面目に聞いてくれて、和子たちにこんなアドバイスを提言しました。

「和子の身に不思議なできごとが起こるようになったきっかけの事件、あの理科準備室での怪しげな男を探って事情を尋ねるしかない」

そのためには和子は再びタイムリープして4日前の怪しい理科教室の真実を探りに行きます。

書評

この本は昔、読んだことがあったのですが、ずいぶん昔のことなので内容はほとんど忘れていました。しかし大人になって読み返しても面白かったですね。

内容が分かりやすく大人から子供まで広く読み継がれるSF作品だと思います。ロングセラーとなっているのも納得です。

事件の真相はすべてスッキリと解決しますし、時間軸が過去や現在を行き来しても話がシンプルなのが良い。時代背景的にも半世紀も前の作品とは思えない読みやすさです。

少女がただタイムリープするだけのSF小説かと思いきや、最後まで読むと未来人、集団催眠、淡い恋愛など、この短い話の中にずいぶんとドラマチックな展開が詰めこまれています。

不本意にもこんな不思議な能力を身につけてしまった思春期の少女の動揺というのも見どころでしょう。

ちなみに和子がタイムリープするきっかけとなったラベンダーの香り、花言葉が「あなたを待っています」これを知ってると最後のエピソードでちょっと感心します。

時をかける少女

¥748

時をかける少女
筒井康隆
貞本義行(絵)

一度は読んだことある、アニメで見たことがある、そんな名作SF小説。

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【鬼速PDCA】目標達成したい全ての人必携のビジネス書

PDCAマネジメントの決定版となる10万部突破のビジネス書。

実行するときは自信満々で。検証するときは疑心暗鬼で。これがPDCAの基本である。

1章 前進するフレームワークとしてのPDCA
冨田和成

株式会社ZUU 代表取締役社長 兼 CEO、一橋大学卒。野村證券にて数々の営業記録を樹立し、最年少で本社の超富裕層向けプライベートバンク部門に異動。2013年、「世界中の誰もが全力で夢に挑戦できる世界を創る」ことをミッションとして株式会社ZUUを設立。過去にGoogleやFacebookも受賞した世界で最も革新的なテクノロジーベンチャーアワード『Red Herring Asia Top 100 Winners』受賞。

概要

わかっているようで、実はよく理解されていないビジネスフレームワーク『PDCA』

特に重要なことは適切な計画、検証頻度、実行サイクル。これらを鬼速で回すから、ほかよりもいっそう飛び抜けたスピードで前進できるのです。

前進するフレームワークとしてのPDCA

世間が抱くPDCAには6つの誤解があります。

  1. PDCAの真価を発揮するのは容易でない
  2. 管理職向けのフレームワークではなく成長スキル
  3. 失敗は検証の甘さより計画から破綻してる
  4. 課題解決より再現性が重要
  5. 改善して終わらずさらに上位のサイクルを回す
  6. 大きな課題だけでなく複数のサイクルを抱える

実現したい目標の上流から細分化して、それぞれにサイクルが存在するようなイメージが本来のPDCAサイクルです。

ギャップから導き出される「計画」

PDCAの計画においては慎重さと大胆さのバランスが肝要で、その時点で可能な限り精度の高い仮説を立てる。

  1. KGI(Key Goal Indicator)の設定
  2. 期日を決めて目標を定量化
  3. 現状とギャップの洗い出し
  4. ギャップを埋める課題を考える
  5. 課題に優先度を与えて3つに絞る
  6. 各課題のKPI(Key Performance Indicator)の設定
  7. KPIを達成する解決案を考える
  8. 解決案に優先度を与える

KPIを掲示したり計画を可視化して、計画を強く意識付けすると効果的。

仮説の精度を上げる「因数分解」

サイクルの速さと深さは因数分解で決まり、これには仮説精度の向上が欠かせません。ゴールと現状を構成する因子をマインドマップで図式化します。

ポイントは抽象度を上げてから分解していき、5階層目まで深堀りしていくこと。特に1段目は漏れなく重複なく分類するためのMECE(ミーシー)を徹底しましょう。

確実にやり遂げる「行動力」

計画から導き出したKPI解決案を業務フローに落とし込み「Do」と「ToDo」に振り分けていきます。

「Do」が解決案に対するアクションで、それをすぐに取り掛かれるタスクにしたものが「ToDo」です。

  • 「Do」に優先順位をつける
  • 「Do」を定量化してKDI(Key Do Indicator)を設定
  • 「ToDo」に落とし込んで具体的なタスクとして着手できるレベルにする

鬼速で動くための「タイムマネジメント」

居心地の良いコンフォートゾーンを抜けて、キャパを超えるほどのパニックゾーンまで行かない程度の、ラーニングゾーンで適度なストレスをかけながらタイムマネジメントをしていくこと。無理はしないがぬるい環境には甘えない成長意欲が試されます。

タイムマネジメントの原則は「捨てる」「入れ替え」「圧縮」の順番で工数の棚卸をすることです。

正しい計画と実行の上に成り立つ「振り返り」

検証に失敗する2大パターンは「やりっぱなしの未検証」か「検証しかせず形だけ」の両極端。PDCAの要諦だと思われる部分だが、計画の精度が甘くKPIもないとまともな検証になりません。

  • KGIの達成率をKPIの進捗率から算出(月1回)
  • KPIの達成率はそれぞれ1~3週間の短期スパンで繰り返す

KPIが計画通り推移しない4大原因は以下のどれか。

  1. 行動が伴ってない
  2. 行動不十分
  3. 想定外の課題
  4. 仮説と因果関係が間違いKPIとKDIの連動がとれていない

書評

PDCAにおける重要なフェーズ「計画」と「実行」が初級・応用に分けて解説されています。まずは初級のステップだけで実践し、マネジメントに慣れてきたら応用も取り入れることができそうです。

また、本書では『優先順位』という言葉が多用されており、とくにIT業界の開発用語『アイスボックス』をToDoにも応用し、いつかやるけど今やることではないものをタグ付けして管理しています。先送りすることは悪いことではなく、タスクを可視化して留保する手段として活用しています。

それぞれのマネジメント段階で補足も添えられており、解りやすく丁寧なハウトゥー本だと思いました。PDCAサイクルを実際に回していく説明に並行して、英会話修得やダイエットなど実例を交えているのも理解の助けになります。

本書ですすめられたマネジメントツールは主に2つ。思考の整理に用いるロジックツリーやマインドマップが作成できるXmindと世界一メジャーなタスク管理ツールTodoistのみ。どちらも無料で十分使えるソフトです。

※タスク管理は古典的なポストイットでも効果的だと書かれています。

PDCAそのものはシンプルなフレームワークで、必要とするツールも最低限で済むが、シンプルゆえに適切な運用をしないと効果が十分に検証されてないことが分かりました。

まとめ

  • Plan – KGI(ゴール)とKPI(課題)を設定して解決案を出す
  • Do – 解決案を具体化したDoからKDIを設定して、即行動できるレベルのToDoに分解
  • Check – KGI、KPI、KDIの検証をして、できなかった要因とできた要因を絞り込む
  • Action – 検証結果を踏まえた調整案で次のサイクルにつなげる

経営者や中間管理職などビジネスマンから、個人で仕事や勉強の目標を打ち立てている人、他者のサポートを主とした業務に従事するかた必携の一冊です。

鬼速PDCA

¥1,318

鬼速PDCA
冨田和成

10万部突破!! 目標達成の必読書・PDCA本のバイブル的存在。

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【ランゲルハンス島の午後】CLASSY.にて2年間連載した村上春樹エッセイ集

村上朝日堂画報という連載で2年間にわたって掲載したエッセイ。本書は連載からエッセイ24篇+表題「ランゲルハンス島1の午後」を書き下ろして書籍化されたものです。

村上朝日堂

村上春樹のエッセイに安西水丸が挿絵を担当した企画。

あらすじ

本書から個人的に気に入った3つのエッセイを紹介します。

シェービング・クリームの話

タクシー料金を払う際に万札しかなく小銭がないときどうするか。禁煙していたのでタバコを買うわけにもいかず、そんなときは決まって化粧品店でシェービング・クリームを買ってお金を崩します。

それを持ったまま街を歩いていると、街がいつもとは違ったように見える。拳銃をポケットにつっこんで街を歩くのを想像してもらえればわかりやすい。それがなんだかシュールに思えるのです。

外国に行くと必ずその土地のスーパーでシェービングクリームを買う。国ごとに特色があるのか、シェービングクリームによって外国に来た実感を得られるようです。

お気に入りはジレットの「トロピカル・ココナッツ」で、これを使うと一歩外はすぐにワイキキ・ビーチという気分になれます。

ONE STEP DOWN

ものに名前をつけるのが好きで、小説家になる前にやっていたバーは昔飼っていた猫の名前をそのままつけました。

あまり深く考えずに、ぐるっとあたりを見回して目についたものを名前につけるくらいが丁度よい。もしまた店を始めるとしたら「カンガルー日和」という名前にしようと思っていたが、その機会がなかったのでそのまま短編小説のタイトルに流用されました。

ワシントンにワンステップダウンというジャズクラブがあります。由来がとても気になったが、お店に一歩踏み入れた瞬間わかりました。

店に入った瞬間、そこは1段足場が下がっているから。

哲学としてのオン・ザ・ロック

翻訳家でも学生時代から勉強は嫌いだったものの、英文和訳の参考書を読むのだけは好きでした。なにが好きかというと、その英文和訳の例文がけっこう飽きないし面白い。そのうちにごく自然に英語の本が読めるようになってしまっていました。

その例文の一つサマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉。些細なことでも毎日続けていれば、そこに自ずから哲学が生まれるというもの。

バーを経営していたころにはどんなオン・ザ・ロックにも哲学はあるのだと思いながら8年間毎日作っていました。

ただ氷の上にウイスキーを注ぐだけと思うかもしれないが、美味しいオン・ザ・ロックには確実に哲学がある。氷の割りかた一つとっても品位や味が変わるのです。

書評

村上春樹の小説を読んでいると、クールでニヒルな人物が多いように思います。だから作者自身もそうなのかと勝手にイメージを重ねようとしてしまいますが、エッセイを読んでいると意外とユーモアのあるかたなんだなと思います。

文章も小説とはまた違った味で、それでいて「あ、やっぱり村上春樹だな」と思えるんですよね。

そして安西水丸のイラストがかわいらしい。カラフルな色づかいだけど、ちかちかしていないマットな質感の色味というのか、ポップさと落ち着きを両立したような素敵な絵です。

25編の内3つほど紹介しましたが、何度か読み返しているくらい、気軽に繰り返し楽しめるエッセイでした。なによりイラストが目をひくほどの派手さはないけど、なぜか見入ってしまう癖になるような雰囲気。

村上春樹のこの肩ひじ張らない文章、たぶん思いつくままに綴ったであろうエッセイが読んでいて心地良いのです。自分もエッセイを書いてみようかな、なんて思わせる魅力があるのではないでしょうか。

ランゲルハンス島の午後

¥935

ランゲルハンス島の午後
村上春樹
安西水丸(絵)

カラフルで夢があふれるイラストと、その隣に気持ちよさそうに寄りそうハートウォーミングなエッセイでつづる25編。

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【100万分の1回のねこ】13名の豪華作家陣によるトリビュート短編集

絵本『百万回生きたねこ』をモチーフにしたトリビュート短編集。

子どもの頃に誰もが読んだであろう名作絵本によせて「100万」や「ねこ」といったキーワードをもとに物語が紡がれています。

アンソロジー

江國香織、岩瀬成子、くどうなおこ、井上荒野、角田光代、町田康、今江祥智、唯野未歩子、山田詠美、綿矢りさ、川上弘美、広瀬弦、谷川俊太郎、全13名の作家による短編集。

あらすじ

本書から町田康「100万円もらった男」のあらすじを紹介します。話が分かりやすく、面白みがあって、教訓もあるので、誰にとってもおすすめの短編です。

貧窮したギタリスト

あるギター弾きの男が、金がなく腹を空かせていました。

ギターの腕は評判でしたが、劇場のマネージャーに嫌われていたので、仕事をもらえずずっと貧乏生活をしています。なんとか食いつないでいたが、とうとう一文無しに。家賃は滞納してるし、ギターもとうに売ってしまった。

突然ケータイが鳴ったものだから借金の返済連絡かと思ったが、知らない男から仕事の連絡でした。

100万円で才能を売る

大八っつぁんと名乗ったその男の要件は、ギターの才能を買いたいとのことでした。

ギターの腕には覚えがあったので、ついに自分の才能が買われるとき、つまり認められる時が来たと喜んで100万円で売ります。当然男は才能を買われたのは自らの実力が評価された、という風に受け取っていました。

男の手元には現金で100万円があって、喫茶店で大八っつぁんの分も支払いを済ませて99万9千円がある。

さっそく空腹を満たすために普段行けない高級焼肉店へ行き、借金していた音楽仲間に金を返し、たまっていた家賃を払い、以前売ったギターを買い戻しました。

そこで男は異変に気が付きます。買い戻したギターがどうも以前のようにうまく弾けず感覚が鈍っているようです。

その後も音楽チケットを買い、風俗に行き、珍妙な帽子を買ったり、やたらと飯を食い続けて、気が付いたら口座の残高は半分ほどの50万円に。

男には3日間のライブ公演の仕事がありましたが、ギターを弾いた時の違和感が表れてうまく演奏ができませんでした。仲間も調子が悪かったんだと励ましてくれていたが、2日目3日目も公演は最悪の結果に。どうやら腕が鈍ったのは気のせいではなさそうです。

ギターが弾けなくなり、彼はぼったくりバーで酒を煽るようになりました。1月半経ったころには残高は25万円に。仕事は前以上にうまくいかなくなったから、お金はみるみる減っていくばかり。

懲りずにバーへ行くと、とある中年の男が話しかけてきました。それは1月半前に喫茶店で才能を売り渡したときに、他の席に座って様子をうかがっていた男でした。中年の男はスマホであるミュージシャンの画像を見せてきました。それは最近かなり流行っている楽曲で、街中どこでも耳にする音楽ですが、そのアーティストこそあの喫茶店で才能を売り渡した大八っつぁんだったのです。

男はたしかに才能を買われたのだが、それはまさにその言葉の通り、才能そのものが買われてしまったのでした。たった100万円で大切な才能を売ってしまうなんて惜しいことをしたと後悔しても手遅れです。

彼は本来自分のものであったはずの才能を、収穫する前に畑ごと売り払ってしまったようなもの。買い戻そうったって、これからも収穫のあがる畑を誰も手放すわけがありません。

才能の畑をなくした彼にはもはや不毛の荒野しか残っていません。それでも種を蒔き、水をやって、一所懸命に生きていくしかないのでした。

まだ、わからないのか。それしかないからだよ。それだって、自分の荒野である以上、売ったら後悔するんだよ。いいかげんにわかれ。

“100万円もらった男” 町田康

書評

この短編集の趣旨は、絵本『100万回生きたねこ』と佐野洋子さんに愛をこめて。この素晴らしい絵本を礼讃するトリビュート短編集となっています。

絵本の内容を知らなくても十分楽しめますが、江國香織さんや山田詠美さんの短編は知っていた方がより楽しめるかと思います。

私はいまさら絵本を買うのもなと思って、kindleで電子書籍版を購入しました。もしお子さんがいる家庭なら紙の絵本を強く勧めます。
100万回生きたねこ(kindle電子書籍版)

あらすじ紹介した町田康さんの「百万円もらった男」は、教訓たっぷりの内容で、最後の結論まで心に刺さる名言たっぷりでした。何かの才能があろうがなかろうが、これからの人生を強く生きていく勇気をもらえる話です。


もう一つ、個人的に面白かった話が川上弘美さんの「幕間」でした。これ、わかる人にはわかるのですが、ドラクエⅤをオマージュした話になっているんですね。

私もドラクエは大好きで、もちろんドラクエ5もプレイしていました。シリーズ屈指のストーリーが評価されているゲームなので、印象に残っている人も多いでしょう。

人間っていうのは、欲張りなものだと、おれは思う。ただ生きているだけでは、足りないのだ。生きることを楽しみ、生きることを嘆き、生きることを疑う。

“幕間” 川上弘美

そんなドラクエⅤの世界にバグで迷い込んだ猫の話。猫から見た人間の愚かな生き様を描いています。

百万回生きたねこ

1977年に刊行されてからずっと読み継がれているロングセラーの絵本。

王様、泥棒、孤独なおばあさん、どの飼い主も好きになれなかったトラ猫が100万回死んで100万回生きるお話です。

そんなトラ猫がある日、誰の猫でもない野良猫として生まれ変わり、一匹の白く美しい猫に出会います。何回も生きることを繰り返して、最後にはもう生まれ変わらなくてもいいと思えるような最愛の相手に出会って死ぬこと。

『100万分の1回のねこ』は、この内容を下地にしてるような話もあれば、全然関係ないけど絵本の趣旨やタイトルを絡ませているような話もありました。人から見た猫、猫から見た人、タイトル通り100万回生きた猫のその中の1つの人生を取り上げているのでしょう。

登場する猫はだいたいどの話においても、奔放で、自分勝手なところがあったり、気分屋なところがあったり。猫の猫らしさがそれぞれの作家によって表現されています。

100万分の1回のねこ

¥737

100万分の1回のねこ
アンソロジー

佐野洋子『100万回生きたねこ』への、13人の作家によるトリビュート短篇集。

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【ハンチバック】重度障害者が純文学を通して訴えた倫理と読書バリアフリー

少しボリュームが軽めの小説を読みたいなと思っていたころ、芥川賞を受賞して話題になっていた本書を手に取りました。単行本でもかならライトなボリュームで、サクッと読み切れそうと思っていました。

しかし読んでみて衝撃。社会へ投げかける問いや、障害者ならではの視点による鋭い意見など、この短い物語には重苦しいテーマがたっぷりつめこまれていました。

市川沙央

本作「ハンチバック」で第128回文學界新人賞を受賞し小説家デビュー。同作で第169回芥川賞受賞。2024年、神奈川県大和市の市民栄誉賞を授与された。

あらすじ

筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側彎症。井沢釈華の病気で、彼女にとってはグループホームの十畳ほどの居室と、キッチン、トイレ、バスルームが現実的世界のすべてでした。

ヘルパーやケアマネなど限られた人しか関りもなく、彼女の世界はかなり限定的なものである。

そんな世界を押し広げてくれるのがインターネットでした。TwitterなどのSNSを駆使して、グループホームの一室にいながらも世界とつながっている感覚です。

井沢釈華にはグループホームを含め数棟のマンションの家賃収入があり、数億単位の現金資産も相続しており金には困りません。

ホームの雰囲気はそれなりに良く、ヘルパーやほかの利用者との交流も最低限ありました。ただ病気のことを除いては不自由のない生活といえるでしょう。

ある日、井沢がVRゴーグルを共有スペースに備品として寄付する話をLINEに投稿。身体が不自由な我々だから、せめて景色だけでもどこにでもいけるのはいいねという話があがっていたので、それに対する気遣いでした。

ヘルパーの田中は井沢に対して「弱者が無理しなくてもいいんじゃないですか。金持ってるからって」と皮肉を込めて返事。田中は自らのコンプレックスをこじらせているような、いわゆる弱者男性であることを自認していました。それはコミュニケーション能力か、経済的にか、男としてのジェンダー的にかは分からないが。低身長であること、根暗な性格であること、介護という一般的に低賃金労働に従事していることなど、いくらでも該当します。

そんな攻撃的なやり取りがあった直後、マネージャーから連絡。井沢釈華の入浴介助の日に女性ヘルパーがPCR陽性だったため、田中が担当することになりました。

入浴介助を終えると田中が唐突に井沢のTwitterアカウントのつぶやきについて言及しました。それは井沢釈華がTwitterで呟いた「妊娠して中絶したい」という彼女の歪んだ願望への蔑みでした。

井沢は「田中さんにもどうしても欲しいものやしたいことくらいあるでしょう」と答えると「井沢さんが持っているくらいの財産が欲しい」と返答。

田中ヘルパーにTwitterアカウントがばれ、井沢釈華の性癖や歪んだ願望を含めた人間性を侮辱されたこと。弱者男性であるコンプレックスの八つ当たりのはけ口にされたのも受け入れながら、後日彼女は田中にある取引を持ち掛けます。

「いくら欲しいのですか」と尋ねると田中は「1億」と場当たり的な金額をふっかけてくるが、それくらい井沢釈華にとってはかわいい金額でした。

そして田中の健常な身体に価値をつけて1センチ100万円分の1億5500万円で取引を打診。田中は承諾し井沢は小切手にサインをします。そして最終的にとった二人の行動と決断とは――。

書評

触れにくい話題である障害者の性やSEXを正面から扱ってるのが衝撃でした。しかも軽い下ネタ程度ではなく、命の重み、性の在りようなどかなりセンシティブな内容です。

私自身、障害者のグループホームで5年ほど働いていたことがありました。そして、そこで生活する利用者たちの性事情というのも様々あったものです。そういった点において、未だに納得のいく向き合い方というのは分かりません。

そして障害者である当事者視点から世間への怒りや心情吐露が印象的でした。主人公の持つ身体的な歪み、ないしは歪んだ願望が社会と相入れないことを強く非難されています。

読んでいて自分を健常者として前提に立っていると、まるで責められているようで辛くなります。それだけ迫真の主張が込められているのでしょう。

また、Netflixやpairs、ヤフコメ、スパダリ、ナーロッパなど、アプリケーションや現代的スラングがよく出てくるのも特徴的でした。コロナなど現実の世情も絡めています。

特にTwitterが重要な設定で、井沢はSNSで発言して炎上しそうなものはとりあえずEvernoteに吐き出して主張を寝かせています。反射的に思ったことを何でも発言していると、思わぬところで炎上しかねないですからね。

中絶がしてみたい、私の曲がった身体の中で胎児は上手く育たないだろう。

井沢釈華

この発言がターニングポイントになっていました。

歪んだ願望や死生観を持っているため、そこだけ切り取るとやばい人に見えますが、思っていることと現実を釈華は丁寧に棲み分けています。

田中にいくら嫌味を言われても冷静に大人な対応で返していますし、基本的には常識人で、できる限りで社会に貢献しようともしていました。

それだけに彼女の堕胎願望とういものを理解するのが難しいところ。

ただ「気持ち悪い」と一蹴して井沢釈華を、ひいてはこの本を否定してしまうと、それこそが障害者との相容れない様相を読者の中に生み出してしまいかねません。

井沢釈華の願望や社会に対する怒りをすくいあげて、丁寧に読んでいくとこの本の見方も変わりそうです。

ハンチバックとは

タイトルの『ハンチバック』とは『せむし』のことで、背骨が曲がっている状態を表す差別用語です。少し古い小説などを読んでいると度々見かけることもありましたが、最近では聞きなれないですね。

ここから主人公、井沢釈華の歪んだ願望や人物像としての歪みを表現しています。

生むことはできずとも、生殖機能はあるのだから堕ろすところまでは健常な人たちのまねごとのように、その背中に追い付くことができるだろう。

井沢釈華

歪みを抱えながらも、そのまっすぐな背中を渇望してるのが伺えます。

健常者優位主義(マチズモ)

世間ではこの本の「読書のマチズモの指摘」についてもよく取り上げられていました。「読書」という行為そのものが健常者優位主義(マチズモ)に働いているのです。

井沢釈華にとって厚みのあるページを抑えながら読む行為は背骨に負荷をかけます。通常誰もが普通に可能な活動が負担になること、だから本作では井沢釈華が紙の本を強く憎んでいます。

紙の匂い、ページをめくる感触、残りのページ数からの緊張感など、そんなものは健常者の呑気な言い回しだと主張されていました。電子書籍が一般的な現代でも高度な専門書やマイナーな本などはまだまだ電子化されていませんからね。

作者もインタビューで読書文化のマチズモを指摘して、読書にとどまらず社会のいたるところで障害者がいないことになって設計されていると話されていました。

ちなみに私は本は紙で読むほうが好きです。そして自分自身これまで社会生活上で不都合を感じない限り、それ以上想像力を働かせようとは思っていませんでした。そりゃそうです、普通に本を読むことが普通ですから。

しかし事情を知ったならば、そこに想像力を広げて世の中を見る視座を高めるために、こういった指摘を受け入れることは大切です。

最後のパート

「ゴグよ、終わりの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。」

本書の最期、語り手が替わって、早稲田大学政治経済学部の紗花という源氏名で風俗嬢をしている女の子が登場。さらに謎の聖書からの引用文。

設定が一部冒頭のコタツ記事から一致するので、井沢釈華による創作だと推察されます。

このパートは意図が分かりにくく、文学賞を受賞する選評の際に議論となったようですね。私もよく分からず、その部分なくても良かったのではと思っていました。

聖書の解釈が必要な部分なので、このあたりをどう読んでいくか、より考えさせられるところですね。


市川沙央⇄荒井裕樹 往復書簡「世界にとっての異物になってやりたい」|文學界note

もともとライトノベルを書いていたこともあり、本書も意図の解釈を抜きにすれば文章自体とても読みやすいです。

作者が本作を通して宗教や過去の事件を絡めた文学性、障害者、ジェンダー、命をとりあげた倫理観など。幾層にも考え積み重ねられた思考の断片を見せられた気がします。

ぜひ、こちらのnote記事による書簡も読んでいただきたいです。

ハンチバック

¥1,200

ハンチバック
市川沙央

第169回芥川賞受賞。選考会沸騰の大問題作!

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【JKさんちのサルトルさん】哲学者サルトルが犬になって現代に転生したコメディ漫画

哲学というと堅苦しい響きに思えますが、ざっくり言ってしまえば「考えること」こそ哲学なのです。考えて、悩んで、迷って、信じて、こういった心の働きは日常生活の中にありふれたもの。

このような哲学を漫画として日常に絡めて、哲学者ジャン=ポール・サルトルを易しくコメディに仕立て上げた三巻完結漫画です。

実存は本質に先立つ。君を縛るものがあるならそれは君が作り出した君の中の真善美という虚像。その虚像の間違いを探し修正し続ける、それが人間になるということだ。 それはときに怖いし孤独かもしれない、だから生きる意味も分からなくなるかもしれないが、それでも楽しいから生きる。

サルトル
大間九朗

小説家。漫画原作者。『ファンダ・メンダ・マウス』で第1回「このライトノベルがすごい!」大賞・栗山千秋賞を受賞。漫画原作は『ロックミー アマデウス』『超人間要塞 ヒロシ戦記』『マズ飯エルフと遊牧暮らし』他。

あらすじ

美大を目指す女子高生巫(かんなぎ)マリオ。

進路に悩む中、ふと川でぶさいくな喋る犬(パグ)を拾います。実存主義者で哲学の巨人ジャン=ポール・サルトルが犬として現世に転生。

サルトルさんはパリに帰りたいがここは2021年川崎市。巫家に馴染んでたばこは吸うわ、酒を飲むわ。そんなサルトルさんが巫家の人々のお悩みを解決していく哲学コメディ漫画。

三巻で全体の世界観はつながっていますが、基本的に1~2話で完結するスタイルです。その中から個人的に印象に残ったエピソードを紹介します。

正しさは既製品ではなく特注品

マリオはデッサン教室からの帰りに親友であるカイリに会いました。

カイリはマリオのことが友達としてではなく、恋愛対象として好きです。度々その気持ちをそれとなく伝えるような行動を起こすが、マリオはそれにまったく気が付きません。ついに痺れを切らしたカイリはマリオに告白するが、普通とは違う愛の形に戸惑ってしまいます。

デッサンの先生(ゲイ)に相談すると、マリオ自身がカイリのことを恋愛対象として好きなのでなければ、どうしたって相手を傷つけない選択はあり得ないと言われます。好きなら受ける、いやなら断る、この二択以外はない。相手にとっては断れば失恋、同情されてもみじめ。そもそも現時点で他人に相談を持ち掛けたことがアウティングになってしまうことを自覚しなければいけません。

普通とはなんなのか。勇気を出して告白した友人に対する誠実な応えとは。

傷つかない答えを探すのは正しい答えを探しているとは言えません。大事なのは今後の二人の関係がどうあってほしいかを答えに導くこと。

人間は言葉でできている

普段は引きこもりがちなマリオの兄がみんなでBBQに来ました。雰囲気に馴染めない兄はこの楽しい場でも自分の居場所がないような気がしています。

そこでサルトルさんが誰とでも軽快におしゃべりする秘訣をアドバイス。

おしゃべりは発語による言語表現で、言葉は彩ることができます。古代ギリシアでは雄弁術なんてものがあったほど重要な能力。そこで生まれた技術がレトリックで、簡単に言えば直喩・暗喩・換喩などの比喩表現です。ほかに誇張法、列叙法などベストセラー作家であるサルトルさんならではの説得力を展開。

人間は思考も表出も言葉で行い、言葉なしでは生きられません。それなのにコミュニケーションがうまくいかないのは決まって舌足らずに原因があります。

だから時に言葉は相手に頼るしかありません。気持ちが伝わるように投げかける。

もしもうまくおしゃべりできないなら、半分は相手の責任だと思っておくと気が楽になります。

愛とは自由だ

あらゆる決断を先送りしてきたマリオの兄が、周囲の人たちによって外堀を埋められ、強制的に縁談が進められ結婚することに。

そこでサルトルさんが円満な結婚生活の秘訣をアドバイス。

ずばり「浮気をしなさい、お互いに」

夫婦円満には浮気と自由恋愛にある。結婚するほど愛しているならその愛は必然で素晴らしいもの。

しかし偶然の愛もあります。浮気も愛に変わりなく、愛そのものはすべてが美しいはず。

人間は自由な存在で、誰を愛し誰と肌を重ねるかも自由。自由の寄る辺のなさに不安を感じ、道徳というまやかしに自分をはめこもうとするのは欺瞞です。

書評

哲学者サルトルの言葉を、現代人のお悩みに回答する形で漫画にした哲学コメディ漫画。

サルトルの主張が現代的な感覚では絶妙にかみ合わない部分もあるが、毎話短いストーリーの中でうまい返しで問題解決に導いてると思います。小難しい哲学の話というのはなくて、私たちが日常生活の中で感じるよくある悩みを哲学的アプローチで諭してくれるようです。

そんなサルトルがぶさいくなパグ犬の姿で核心的な名言を残すギャップがシュールです。サルトルの性格面も強調されており、特に愛や性の話になると熱くなりすぎて下卑たゲス犬になります笑

哲学は難しいものとして捉えられがちですが、極論考えることが哲学で、普遍的な悩みに対する答えを導こうと努力するのは全て哲学です。そして人は生きている限り必ず悩みます。しかも皆同じような問題で悩むもので、絶対的な回答はないものの、哲学はそれぞれの個人が考える指針になってくれるでしょう。

JK一家の日常漫画に笑いと哲学を織り交ぜた新しいジャンルだと思いました。

JKさんちのサルトルさん

¥792

JKさんちのサルトルさん
大間九郎
さのさくら(絵)

ふいに出会ったJKのマリオさんと犬のサルトルさん。この出会いが、実存主義が、マリオさんと周囲を緩やかに変えていく。「上手く」生きたいなら別の本を、「ご機嫌に」生きたいなら、この本を。全3巻。

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【重版出来!】漫画に関わるすべての人に響く新人編集者の熱いお仕事漫画

知人におすすめされた漫画ですが、実は最初は「重版出来」なんてタイトルからして地味そう…なんて失礼なことを考えていました。

これが読んでみたら面白くてあっとういまに全20巻読み終えてました。

漫画に関わる仕事、あるいは出版において、我々読者からは見えない陰の立役者として活躍している仕事人たちを知ることができます。本を売ること、重版がかかかることの尊さがひしひしと伝わってきます。

松田奈緒子

長崎県出身。27歳のときに「ファンタスティックデイズ」で「コーラス」よりデビュー。「重版出来」は小学館漫画賞を受賞し、ドラマ化もした。

概要

週間コミック誌編集部の新人女性漫画編集者・黒沢心を中心に、漫画や出版物に関わる裏方にスポットを当てたお仕事漫画。

※「重版出来」とは初版と同じ版で刷り増すことで、すべての作家と出版社が好きな言葉。

大学まで柔道に打ち込んできた新人編集者・黒沢心。オリンピック日本代表の呼び声もあったほど柔道一筋だった彼女が、大手出版社「興都館」で週刊コミック誌「バイブス」に配属されます。

出版不況のこの時代に売れる本をつくりたい編集部と作家たちの熱意が炸裂!

作家のメンタルや人間関係、編集者の数字へのプレッシャーと個性、売り出し方のSNS戦略など、漫画に関わる人たちの人間模様がリアルに描かれています。また、グラビア撮影、画集出版、美術本など漫画以外の出版物なども取り上げて、出版業界独自の慣習や事情などを分かりやすくストーリーにしています。

二人の新人作家を抱えることから編集者としてスタートした主人公・心は、周囲のベテラン作家や編集者にも支えられながら、作家と共に着実に成長していきます。

書評

全20巻となっており、作品全体の骨子としては新人編集者・黒沢心が、発掘した天才新人漫画家をデビュー・連載・アニメ化と成功へ導いていく物語です。同時に作家の仕事面だけでなくプライベートや精神面にも焦点を当てながら、枝葉のショートストーリーもはさんでいく感じ。

悪口言われるほうがいいんですか⁉

そりゃそうだよ~、そんだけ自分のファン以外にも届いたってことだもん

よく持ち込みの新人が、目の前で読まれて恥ずかしいとか緊張して編集者を見れないっていうけど…一番最初の読者である編集者が、自分の作品を読んでどんな反応するか、自分の描いたもので勝負しようってんだから、気にするのが当たり前だろ。

クリエイティブな正解のない仕事をテーマにしているだけに、人物たちの悩みも多いものになります。だからこそ人の心に刺さる名言が頻出します。

黒沢心の審美眼によってひとりの若者を最終的に立派な漫画家まで押し上げるストーリーも素晴らしいですが、個人的には数話完結のショートストーリーで好きなものが多かったです。

漫画の映像化

漫画原作を映像化するにあたっての、原作者と制作者の折り合いの難しさが取り上げらました。このセンシティブなテーマは、場合によっては人命に関わるほどの問題をはらんでいます。

興行を優先したキャスティング、大御所俳優の使いどころ、原作と脚本の違い、あらゆる大人の事情が絡んでいるのが分かります。なぜ原作通りにならないのか、なぜ設定が変わるのかといった事情が少しだけ理解できました。

web漫画の台頭

バイブスでweb漫画誌を始める話が立ち上がった話。連載も単行本化もPVで決定、ジャンルも設けずセグメントの垣根を超えた連載で個人の好みを反映させるという方針でした。

しかしまだwebでコンテンツを発信する黎明期で、紙の雑誌に対するプライドなどからも反対意見も少なくない。

そこで部内で数字にうるさいヒール役だったベテラン編集者が「このまま何もしなかったら、紙の雑誌どころか漫画文化自体もなくなってしまう。今、やるべきです。」といって強気でおし進めます。局長にもしっかりと話を通し、企画を通した手腕に感心したシーンでした。

刀剣美術本プロジェクト

バイブスの人気漫画家の登場キャラクターにちなんだ刀剣に関するプロジェクト。巷で流行りの刀剣女子を取り込む形で、刀剣に関する美術本を出版することになりました。

しかし刀剣は権利関係が複雑で御物や個人蔵など一律ではなく、掲載許可を取るだけでも苦労するもの。掲載料や画像代が高額になることもあるそうです。さらに刀剣は光の芸術でもあり撮影が極めて困難な対象で、新撮となるとさらに費用がかさんでしまう。

このような業界裏話や制作秘話はとても興味深い内容でした。


作家と編集者が二人三脚で歩んでいく本作。その制作の裏では多くの人の関りや人間ドラマも見えてきます。

売れる作品を描く人は良い作品を描くのはもちろん、いかに読者や作品を愛しているか。デビュー後に息長く活躍する人ほど成長と変化があり、人間力に優れ、愛される人なのだと実感します。

もちろん厳しい現実を目の当たりにすることも多々あります。1作目が売れて2作目がぱっとしないとき、読者はフレッシュな新人作家に目移りするので、中途半端な売れ線で傷を広げるより、早めにたたんで次の作品に取り掛かったほうが建設的な「2冊目のジレンマ」など。

時代に翻弄されながらもうまくラッキーヒットさせる作品もあれば、時代に合わせてさらに努力する作家もいます。

私が一番好きなキャラクターはベテラン作家の高畑一寸でした。代理原稿でするっとデビューした受賞歴なしの無冠でありながら、常に新しいことに挑戦しながら漫画の研究に勤しんで人気作をキープ。女にはだらしないけど、新人想いで優れた審美眼から瞬時に漫画のアドバイスを出せる器量。

仕事と創作を通して漫画に関わる人たちの真剣な熱意に触れられ、読んでいるこちらも感化されそうになってきます。

重版出来

¥715

重版出来
松田奈緒子

漫画に携わる人々に焦点を当てたお仕事漫画、全20巻。