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【 君たちはどう生きるか】より良き大人になるための不朽の児童文学

宮崎駿の映画のタイトルにもなった「君たちはどう生きるか」

吉野源三郎

1899年東京生まれ。東京帝国大学文学部哲学科卒。三省堂編集部で『大英和辞典』の編集にあたる。1935年、山本有三の好意で新潮社「日本少国民文庫」の編集に参画。これは、軍国主義の時勢に抗してヒューマニズムを子どもたちに伝えることを意図された全16巻の双書で、吉野源三郎は編集主任となる。『君たちはどう生きるか』もその1冊として1937年刊行。1937年、明治大学で教鞭を執る傍ら、岩波茂雄からの誘いで、岩波書店入店。1938年には、日中戦争下における批判的精神の欠如を戒め、現代的教養を広めることを目的とし、岩波新書の創刊を主導。1950年には岩波少年文庫の創刊にも携わる。

あらすじ

中学2年生のコペル君、亡くなった父は銀行の重役でそこそこの家柄。中学校の友人は実業家、大学教授、医者などの家系で、比較的上流の未来を期待される子供たちへ向けた話です。

学校や日常生活を通して、ものの見方、社会の構造、関係性を捉え、すぐれた洞察力と豊かな道徳的感性から発見を広げていきます。

そんなコペル君の発見に、叔父からのアンサーとしてノート形式で語られていきます。


コペル君とおじさんは銀座のデパートの屋上から人々を見下ろしていました。その時コペル君が、人間がこの世界を構成する分子の一つ一つであると例えたことにおじさんは感心します。

人はみんなが集まって世の中を作っているし、みんな世の中の波に動かされて生きています。自分自身もその分子の一つにすぎない。人間が自分を中心にものを見たり考える性質というのはとても根深く頑固です。人を一分子に見立てて客観的に世界を観察できたのは大きな発見で、とても成熟した考え方でした。

コペル君、北見君、水谷君の仲良し3人は、クラスでいじめられている浦川君を助けます。浦川君は実家が貧しい豆腐家で、いつも弁当のおかずが油揚げばかりだから、それをいじめっ子にからかわれていました。

油揚げ事件を解決した北見君の正義感、それに感動したコペル君の正直な心のありようを大切にしなさいと、おじさんは手紙で伝えました。

季節がめぐって雪の日に、浦川君も含めた仲良しグループで雪合戦をしていました。そこで北見君が上級生の雪だるまを壊す粗相をしてしまいます。

上級生から目をつけられていた北見君は、事前にみんなで何かあったら助け合う約束をしていました。しかしコペル君は北見君たちが上級生にからまれている時、怖気づいて手の雪玉を後ろ手に隠して無関係を装い裏切ってしまいます。

友達と深い溝ができてしまったコペル君は、後悔のあまり熱を出して学校を休みます。

おじさんはそんな情けないコペル君を見て、「友達同士の硬い約束を破ってしまったのに、どうして男らしく自分のしたことに責任を負おうとしないんだ」と一括。

さんざん悩んだあげくに手紙で誠心誠意の謝罪をしました。

「心が感じる痛みは体が感じる痛みと同様の意味を持つ。お腹痛いとか怪我をしたとか、体の故障によって自身が正常の体でないことを知る。苦痛がなければ気づかずに死んでしまうこともある。同様に心に感じる苦しみや辛さは、人間が人間として正常な状態にいないことから生じて、そのことを知らせてくれている。心が苦しいから、人間が本来どうあるべきかということを心に捉えることができる」

自分を責め立てるほど苦しみを感じているのは、正しい道に向かおうとしている証なんだ。

書評

コペル君の精神的な成長、友達の貧困、人間性の追求といった『より良く生きる』ための指南が凝縮された教養教育本でした。

漫画版だというのに文章量はかなり多いけど、コマ割りが大きくてさくさくと読みやすさはあります。

小説版も読んでいますが、おじさんのノートの内容はそのまま小説も漫画も同一です。ストーリーは漫画でサラッと進めて、大事なことが書かれたおじさんの手紙は忠実に文章として載せています。

世間には他人の眼に立派に見えるようにとふるまっている人がずいぶんいて、そういう人は自分が人の眼にどう映るかを一番気にするようになって本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということをついお留守にしてしまうものだ。立派そうに見える人ではなく、良いことは良いこと、悪いことは悪いことだと一つ一つ判断して本当の意味で立派な人になってほしい。

おじさんの手紙

どう生きるべきか、ではなく、コペル君のあらゆる発見を起点にした社会的な認識のもとで、『どう生きるか』というあくまでも提示になっています。このタイトルが優れているところですね。

そして「君たちはどう生きるか」この言葉は最後にコペル君から発せられます。

現代では上から目線のタイトルが鼻につくとも言われてしまうようですが、それも当然の背景があったりします。本書に登場する子供たちは、将来日本を背負っていく上流家庭の限られた男子たちに向けた内容だからです。

人々を引っ張っていくリーダーたるもの、人として良くあれというメッセージなのでしょうが、言われていることは上流階級に限らず万人が目指すべき普遍的な道徳です。だからこそ80年も読み継がれる古典となっているのでしょう。

漫画 君たちはどう生きるか

¥1,430

漫画 君たちはどう生きるか
吉野源三郎 (著)
羽賀翔一 (著)

人間としてあるべき姿を求め続けるコペル君とおじさんの物語。出版後80年経った今も輝き続ける歴史的名著が、初のマンガ化!

小説 君たちはどう生きるか

小説版も読みましたが、内容としては漫画版とほぼ同じ。ストーリーも基本的に同じ流れですし、重要なおじさんの手紙はそっくりそのまま同一の内容です。

相違点は以下、

「水仙の芽とガンダーラの仏像」「春の朝」が漫画ではカットされています。水谷君の家で遊び、彼の姉が登場するくだりがカットされています。

小説だからこその新しい発見や気づきというのもほぼなかったので、基本的には漫画版で読むほうがおすすめかなと思っています。

また、当時の出版背景には満州事変~日中戦争に発展する時代にあり、言論や出版の自由が制限されていたことも踏まえておくべきです。労働運動や社会運動は激しく弾圧され、もちろんこのような本も出版が容易ではありません。

それでもこの時世の影響から少年少女を守り、人生をいかに生きるかという倫理だけでなく、社会科学的認識を改めて見つめ直す本として送り出されました。

君たちはどう生きるか

¥1,067

君たちはどう生きるか
吉野源三郎

人生いかに生くべきか。子どもから大人まで時代をこえて読み継がれる不朽の名作。

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【神様がうそをつく。】非公式ラジオドラマが制作されるほどファンを魅了する漫画

一巻完結漫画の中でおすすめの漫画であげられることが多い本作。私もお気に入りの一冊で、短いストーリーの中に複雑な心境やノスタルジックな雰囲気が詰まっています。

漫画があるのに電子書籍を買って、ラジオドラマCDや、ポストカードまで集めてしまいました。

小学生らしい無邪気さや、人の気を敏感に察知するけどうまく言葉に表せない不器用さが伝わってきます。ときに突発的な思い切った行動に出たり、自分が小学生のころを追憶するようなすごく丁寧な描写です。

尾崎かおり

コンテンツ

あらすじ

東京から転校してきたなつるは、クラスのカースト上位の姫川からプレゼントを渡されるが、照れ隠しで逃げるようにして断ってしまいます。それがきっかけでクラスの女子から無視されるように。

普段はサッカーをしており、とくに上手だったので人気者でした。

サッカーの練習終わり、家に帰る途中で捨て猫を拾うが、母がアレルギーのため家では飼えないと断られます。仕方なく外に出て猫を諦めようとしたところ、クラスメイトの鈴村に会い久しぶりにクラスの女子と会話をします。

真っ白で「とうふ」と名付けられた猫は、飼育費を払う条件に彼女の家で引き取ってもらうことに。

鈴村は父が置いて行った養育費でスーパーで食材の買い出しから家事まで、弟の面倒を見ながら生活のすべてをまかなっていました。未だに母に甘えているなつるは、そんな彼女の生活を見て驚きと戸惑いを露わにします。彼女たちが抱えていた秘密は、父が出ていったきり子供二人だけで生活をしていることでした。

夏休み。

サッカーコーチとそりが合わないなつるは、夏の合宿をさぼって公園で弁当を食べていました。

一方で鈴村に預けた猫の様子を見に行くと順調に成長しています。鈴村と弟の二人も相変わらず二人だけで貧しい生活を送っていました。

合宿をさぼった手前、家に帰れないなつるはそのまま鈴村の家に泊まっていくことに。鈴村たちの自立した生活ぶりと、自分が合宿から逃げ出して甘えた現状を比較して、なんと子供らしいことかと情けなくなりました。

こうして秘密の夏休みが始まり数日、ついに鈴村の父が帰ってくる日がきました。しかし約束の日時がすぎ、いくら待てども父は帰ってこない。

そしてなつるは鈴村家のさらなる秘密を知ることになります。

書評

たった1冊で完結する短いストーリーの中に、キャラクターそれぞれの感情や想いがパラパラと小さな粒となって広がっているイメージ。それでいて物語全体がばらけずに、きっちりとまとまっているのがこの漫画の良さです。

俗に言うと感傷的なエモさやノスタルジーがあって、自分が小学生の頃の不器用さや無力さが思い起こされるような感じです。非現実的な話であり、どこか現実味も帯びていて、この作品がもつ独特の魅力にからめとられました。

内容としては「小学生がそんなことしないだろう」とつっこみを入れられそうなところもありますが、あながち絶対にあり得ないとも言えない状況が絶妙です。

そして何よりもなつるの感情表現がとても奥行きがあって漫画的に素晴らしいのです。主人公の心を突き動かすエピソードや設定がいくつもあるのですが、状況に応じて表情に出したり、言葉にしたり、うまく表現できずに苦しんだり。

「神様がうそをつく。」意味ありげな含みのあるタイトル、これもまた最後に物語を綺麗におさめてくれました。

なつる、今までずっとあのこを守っていたの?

律津子

このセリフを読んだ瞬間泣きたくなります。

他人にはとうてい理解できない秘密を抱えて生きていくこと、唯一の理解者がいてくれる救い、これらに想像をはせると、感情移入が止まらなくなり、私にとって特別な漫画の一冊になりました。

サウンドドラマCD

この漫画のファンはたくさんいて、その中で声優の小林祐介さんと種﨑敦美さんのふたりがとくに好きで、それゆえに出来上がったサウンドドラマがあります。

非公式作品ではありますが公認となっている同人作品ですが、クオリティも非常に高く、この漫画のファンなら絶対に買って損はないものだと思います。

ボイスは8人出演、効果音などもしっかりとつくりこまれていました。

シーサイドショップでCDとダウンロード版を購入できますが、CD版には声優お二人のアフタートークも収録されています。

神様がうそをつく。

¥792

神様がうそをつく。
尾崎かおり

文装舎編集部が最も推している漫画。1巻完結なのに濃密な読みごたえで感動必至!

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【すごい左利き】なぜ一般的に左利きがすごいと言われるのか

左利きの人なら気にせずにはいられないタイトル。そして多くの左利きが「天才タイプなんだね」「器用だね」といった言葉をかけられてきたことでしょう。

しかし「左利き=天才」なわけではありません。右利きとは異なる脳の使い方によって、同じ経験から感じることとアウトプットする内容が変わるため、大多数とは発想が違うということになる。これが左利きの人が特異な目で見られる所以でしょう。

また、基本的に世界は右利き中心のデザインなので、右利きのツールや設計を快適に利用するための試行錯誤が求められる場面も少なくないです。それが結果的に左利きの人の脳のバランスを向上させ、器用だねと言われる人が多いのかもしれません。

このような左利きのすごさを脳科学の観点を交えて考察されています。

加藤俊徳

脳内科医・医学博士・加藤プラチナクリニック院長・株式会社「脳の学校」代表。世界700カ所以上の施設で使われる脳活動計測「fNIRS(エフニルス)」法を発見。

脳番地による8つの仕組み

著者は「脳番地」という独自の見解に基づき、8つの脳の仕組みを定義しています。

  • 思考系
  • 伝達系
  • 聴覚系
  • 理解系
  • 感情系
  • 運動系
  • 視覚系
  • 記憶系

これらはそれぞれが独立しているわけではなく、一つの動作に対して相互連携して働きかけます。

同じ細胞でも役割が異なり、感情系でも左脳は自分の感情や意思を作り、右脳では他人の感情を読み取る働きをします。要するに左脳は言語系情報処理右脳は非言語系情報認識を得意とします。

しかし運動系は左右対称の働きで、利き手と反対側の脳がよく発達する傾向にあるようです。

多くの左利きは右利きの人より、脳をバランスよく使うために左脳がつかさどる言語処理へのルートが少し遠回りになる傾向にあります。つまり言いたいことのイメージは先行するけど、言葉がつながってこないという現象が起こりやすい。

左利きの人の主な特徴

左利きならではの特性や思考がいくつか挙げられていますが、とくに特徴的なものが以下の3つ。

  • 優れた直観力
  • アイデアと独創性
  • ワンクッション思考

左利きの人が生まれてくる確率は両親の遺伝によります。

  • 両親が右利き 9.5%
  • 片親が左利き 19.5%
  • 両親が左利き 26.1%

しかし、利き手を決定づける遺伝子はまだ見つかっておらず、現段階では遺伝に加えて生後の環境の影響があると考えられています。

直感に優れている

直感は単なる衝動ではなく、無意識下の膨大な脳の情報ベースから導き出している結論であることがあります。この潜在的な思考の結論が、論理的結論より良い結果をもたらす場合があります。これは論理的思考をベースにしたAIにも真似できない人間ならではの強みです。

左利きの多くは情報のイメージ保存がデフォルト。浮かんだことを意識的に右脳から左脳に移して、あえて言語化することで直感を形にして残すことができるようになります。もしあなたが左利きならメモを持ち歩くことを推奨されます。

豊かなアイデアと独創性

左利きは目で捉えた情報をイメージで記憶する傾向にあります。左脳で理論的にとらえると情報サイズは小さいが、右脳でとらえたイメージは情報サイズが大きいです。情報量が多くなるので、既成の枠に収まらない発想に繋げられるでしょう。

これを有用なものにするには、イメージ記憶情報を左脳に移して言語化する意識をもつこと。

コピーライト分野でも論理的な文章は右利きのほうが得意ですが、左利きはイメージを一言で表すような独創的な言葉を生み出すポテンシャルを秘めています。

ワンクッション思考

はじめはゆっくり理解するけど、コツをつかむと爆発的な応用力をつけるのがワンクッション思考。

右脳と左脳をつなぐ神経線維の太い束「脳梁」を介して頻繁に行き来する脳の使い方が影響しています。つまり両脳を刺激する機会に恵まれた左利きは脳を強くしているともいえます。
※右利きは左脳を多く使い右脳を眠らせてることが多い。

また、左利きはアウトプット速度が遅い傾向が見られました。並列情報である右脳を介して左脳にアクセスする特性に由来しておりワンクッションのラグが生じるからです。脳の瞬発力がないと悩む人も多いですが、これを解決するには脳の視覚系脳番地を鍛えることが効果的。

言葉を耳から聞いて行動に移す力と、その場の状況を目で見てから動く力の二つの脳の瞬発力があります。言葉は最後まで聞かないとすぐに動けませんが、視覚情報であれば瞬時に対応できます。具体的にいえば、とにかくしっかりと見て観察する力を意識すること。表情と顔色やしぐさ、道の途中の綺麗なものの発見、普段しない行動から得られる新しい体験などを、視覚系情報と結びつけるなど。

この鍛え方を応用して「見て真似させる」という行為が左利きの人の成長速度を高めるでしょう。

最強の左利き

左利きはもっと積極的に右手を使ってみてもいい。

左脳を刺激して物事を対比して考える力を養えるようになる。また人間は不自由な環境にあるほど創意工夫をこらして能力を伸ばす傾向にある。

左利きの特性から両方の脳を活用しやすいというのが大きなアドバンテージである。

書評

よく言われていることでもありますが、右利き優位の左脳は言葉や計算、論理的思考、による直列思考が得意。対して左利き優位の右脳は様々な情報が同様に浮かぶ並列思考の脳です。

左利きの人が左脳を鍛えるにはToDoリスト作成、日記をつける、ラジオを聴く、ブログやSNSで発信するといった言語化につながる活動が有効です。中でも外国語の勉強は脳番地をフル活用して左脳を成長させる最も効果的な方法です。単語の意味を覚えるために記憶系、感情系、思考系で文章をつくり、運動系を用いて書いたり話したり、伝えたいことを整理するために伝達系も活用します。

多くの左利きの人はこれまでの人生経験からも、両方の脳を活用しやすいという大きなアドバンテージを有しています。初めは不自由に感じるかもしれませんが、その不自由さから創意工夫をこらして積極的に右利きとなることで、最強の左利きになれるとされていました。

私自身も左利きでありながら、ツールによっては両利きのものがあるので、本書に書かれている両脳活用の希望の兆しは想像できます。積極的に右手(左脳)を使って両利きを目指すのは、脳科学的な観点から優秀な思考力を得るための新たなアプローチかもしれません。

実際問題は忙しい多くの現代人が、思考力という目に見えない成果の為に、両利きを目指そうなんてばかげたことは実践しないと思います。しかし右利き優先デザインの世の中で、左利きの人が強いられてきた小さな苦労は、両脳を刺激して優秀な脳の使い方をしてきたかもしれないという、自己理解を深めるきっかけにはなったかもしれません。

すごい左利き

¥1,430

1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き「選ばれた才能」を120%活かす方法
加藤俊徳

「左利き」は天才? それとも…変人?何が得意で、何が苦手?そして結局、何者なのか?1万人の脳をみた名医が、最新脳科学ではじめて明かす10人に1人の「選ばれた才能」のすべて!

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【狼の幸せ】富嶽三十六景になぞらえた36編、イタリアンアルプスに暮らす男女を描く

葛飾北斎の富嶽三十六景になぞらえて36章の掌編小説のごとく構成されている本です。まずは最初から最後まで普通に読んでみて、再読の際は適当なページをめくって章ごとにつまみ読みしても楽しめそうです。

何かが消えて、別の何かがその後釜に座る。 世界はそんなふうに出来ているんだよ。

23章 沼 ファウストの父親
Palo Cognetti

1978年ミラノ生まれ、映像制作の仕事に携わった後、作家デビュー。2016年に「帰れない山」でストレーガ賞を受賞。作者が長年構想を練っていた恋愛小説である本作がコロナ渦を機に実現した。

あらすじ

人生に疲れた40歳の作家ファウストは、パートナーと別れ、長年暮らしたミラノを離れてフォンターナ・フレッダにやって来ます。

レストランでコックの職を得たファウストは、そこで知り合ったウェイトレスのシルヴィアと付き合うように。レストランオーナーのバベットや、元森林警備隊のサントルソらとも交流を深めていきました。

やがて、狼たちがイタリアンアルプスからおりてきたころ、シルヴィアから贈られた「富嶽三十六景」の画集を贈られ、冬は仕事がないので別々の道を行きます。

ある日サントルソが事故に遭って運ばれたと聞いたファウストは、麓の病院まで見舞いに行ったが誰もおらず、身寄りがないのかと疑いました。サントルソは見舞ってもらった礼に、ファウストに夏の仕事を紹介します。役所が林の間伐をするので、コックとして同行することでした。

一方シルヴィアはフォンターナ・フレッダの2倍の標高3585mのモンテ・ローザで働くことに。モンテ・ローザの過酷な氷河を目指して、案内人のパサンとともにセッラ小屋を目指していました。

ファウストは休みにモンテ・ローザまで登りシルヴィアと再会します。再開して気が付いたのは、ファウストは以前よりも少し生き生きとして逞しくなったこと。シルヴィアは山に疲れて少しやつれていること。

夏の終わりごろ、ファウストはセッラ小屋まで行き、シルヴィアに誕生日プレゼント「フォンターナ・フレッダ三十六景」を渡しました。ファウストの手書きの短編小説です。

彼はバベットの店を引き継ぐことも伝えていましたが、シルヴィアの反応は期待したものではなく、2人の関係の潮時なのかもという雰囲気が漂います。

人の山に対する考え方は、そこに暮らす人と、遠ざかっている時ではずいぶんと異なるもの。遠くで考えると山の現実はぼんやりとした抽象的な概念になり果ててしまいます。北斎の絵の奥に小さく描かれた富士山のような、てっぺんに雪をかぶったただの三角形になってしまうのです。

書評

作者(パオロ・コニェッティ)自身、作家として行き詰り、この実在するレストランで2年ほどコックとして働いた実体験が反映された物語。そして葛飾北斎が物語のモチーフ、小道具として重要な役割を果たしています。

今この瞬間を生きる人々の暮らしぶりと、そんな人間たちに無関心な泰然自若としていつもそこにある山とのコントラストを描いているようでした。

それほど長い本でもなく200ページちょっとを36章に細切れにしているので、サクサクと読み進めやすいです。読み終わった後も、それぞれの章をかいつまんでショートのように読めるのが魅力的な本でした。

話全体では舞台となる山の話がメインなので、登山経験などがあるとより想像しやすいですね。アルプスで1000m登ることは北に1000㎞移動することに近しいという話。標高が上がることで気候や植生が変わるのですが、フォンターナ・フレッダが1815mでそれを北移動に換算するとデンマークやノルウェーに相当します。北極点なら5000㎞弱だからモンブランの頂上といったところ。山登りがはるか遠くへの旅に類似した経験を得られる新たな視点の魅力でした。

ファウストとシルヴィアの二人の恋愛は、前半は甘くきざったらしい雰囲気でしたが、後半にかけてふわふわと自然消滅していきそうな怖さがあります。山のレストランは季節労働であり長く一緒にいられるわけでもありません。二人は年齢も未来も山に対する気持ちも違うところがあって、恋愛模様の変化と人生の移ろいが表現されているようでした。

ファウストの魅力

フォンターナ・フレッダで得た教訓は「食事の支度をする人間は常に必要とされているが、書き手の需要は高くない」

作家としてうだつの上がらないファウストですが、彼には人間的な魅力があって、まず山に移住してあっさりと仕事をみつけたこと。そして出会う人それぞれ、うまく関係を手繰り寄せて山での暮らしに溶け込んでいったこと。

彼の作家業が大成するかは分からないけど、ここでの暮らしが幸せなものになっていくような予感は感じられました。

そしてなぜタイトルが「狼の幸せ」なのか。

山ってやつは狼と風の領分だからな。

38p 6章 倒れた森 サントルソ

木々は動物とは異なり幸せを求めてどこかに行くことができないので、種が落ちた場所で幸せになるためにどうにかするしかありません。

しかし不思議なのは狼で、なぜか落ち着かず移動を繰り返して不可解な本能に従って動きます。どこかで獲物があふれていても何かが定住を妨げせっかくの恵みを放り出し、常に新天地を求めています。雌のにおいを追い、群れの遠吠えを追い、明確な目的もなかったりもして。

ファウストはそんな狼だったようです。ファウストに限らずシルヴィアも、バベット、サントルソも。どこかで合理的な判断とはかけ離れた選択のもと、狼のようにフォンターナ・フレッダに辿り着き、また別の世界に移っていくのかもしれません。

イタリアの食について

ファウストが山男たちにふるまう食事や、イタリア独自の食事メニューが出てきます。

例えばポレンタというメニューがあります。聞いたこともありませんね。コーンミールを粥状に煮たイタリア料理で、粗挽きトウモロコシ粉を沸騰した湯やだし汁に振り入れて煮て、焦げ付かないようにこねながら煮上げるもの。

また、グラッパというお酒が度々出てきます。イタリアで定番の食後酒で、ワインを造る際のブドウの絞りかすを使った蒸留酒。果汁以外にも種や皮も含んでいることや、白ブドウだけではなく黒ブドウも使うのがブランデーとの違い。作中では松ぼっくりを入れた飲み方なども登場しましたが、ストレートで飲むのがメジャーです。エスプレッソに少量混ぜるカフェ・コレットという楽しみ方もあるみたいです。

イタリアンレストラン ルーチェ

羽田空港の近くのホテルに泊まった際、近くのイタリア料理店で飲みました。

この本を読んでいたからグラッパというのが初めて目についたのでしょうね。アルコール度数は40度くらいできついけど、ほんのりレーズンのようなブドウの香りがあって食後にぴったりでした。

ちなみにグラッパはサイゼリヤでも普通にメニューにあったみたいです。

狼の幸せ

¥2,640

狼の幸せ
パオロ コニェッティ
飯田 亮介 (訳)

ストレーガ賞受賞作家が描く、人生やり直し山岳小説。

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【時をかけるゆとり】天才文士による自虐と青春に満ち溢れた初エッセイ集

朝井リョウの初エッセイ集。筒井康隆の「時をかける少女」のパロディタイトルで、著者本人の笑いに満ちたエピソードエッセイとなっています。

同シリーズで続巻「風と共にゆとりぬ」「そして誰もゆとらなくなった」とゆとり三部作があります。

朝井リョウ

小説家、ラジオパーソナリティ。早稲田大学文化構想学部卒業、2009年同大学在学中に「桐島、部活やめるってよ」で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2012年には同作が映画化された。2013年「何者」で第148回直木三十五賞受賞。直木賞史上初の平成生まれの受賞者であり、最年少の男性受賞者となった。

あらすじ

浅井リョウさんの二十歳前後のできごとを綴ったエッセイ集。年代的にゆとり世代にあたる著者の赤裸々な話です。

構成は主に学生時代のエッセイが20篇。元は「学生時代にやらなくてもいい20のこと」の単行本があり、これに社会人となってからのエッセイを3篇追加し、改題して「時をかけるゆとり」となっています。

カットモデルになる

本書から『モデル(ケース)を体験する』を抜粋して紹介します。

大学1年生の上京したてのお上りさんだった著者は、カットモデルを探しているという友人の言葉に飛びつきました。

閉店後の美容院で試験を前日に控えた美容師にカットしてもらうことに。切られている本人の感覚では、もはやプロの美容師と遜色なく技術の違いもわかりません。腕も良いと思うし、会話もスムーズにつながっています。

しかし美容師の上司がチェックしていること、ストップウォッチで時間を図る人や、なにやらメモを取る人など、現場の空気はピリピリしていました。

そんなわけだから、その美容師との会話からも何かしら評価に影響を与えるのではと思い、著者は気を遣ってオーバーリアクションしながら会話を続けることに。

カットが終わってチェックするとき。

上司の一言「バランス考えた?この子顔のフォルム長めでしょう」 さらに「後頭部に欠損あるじゃんか」と追い打ち。

上司が美容師に指摘するたびに、面長や部分ハゲなど、モデルとなっている自分のネガティブポイントがどんどん掘り起こされていきます。

無料カットや東京クオリティの技術を受けられるおいしい話だと飛びつくのは甘かった。プロ試験を控えた美容師のカットモデルをするということは相応の覚悟も必要なのです。

ちなみに、カットモデル募集とうたっておきながら、後になってカラーなどの材料費を請求される場合などもあるので、無料という言葉だけにのせられないように注意しましょう。

書評

朝井リョウさんの本はいくつか読んだことありましたが、このエッセイを読むと作者の印象が大きく変わりました。

若くして大きな文学賞を受賞した経歴や、作風からも、なんとなくクールでニヒルな印象を抱いていました。実はとてもユーモアあふれる楽しいかたなんですね。

20歳前後のちょっと無茶をしたくなる大学生時の話が多かったからか、失敗談や無謀なエピソードが豊富で、読んでいて展開に飽きかったです。編集者からも狂っていると述べられたのだとか。

友達が多く青春を謳歌してきたようにも思われました。学生時代の思い出を大切にされているんだなと感じます。

そして朝井リョウさんならではの特徴ですが、よく観察あるいは記録された文章が綴られています。普通に過ごしていたら見過ごしてしまうような日常の発見や面白さをしっかりとすくいだして、面白おかしく文章として成立させる筆力がプロ作家そのものです。

さらに作家は書くだけではありません。多くの人生経験が作品に奥行きをもたらすのでしょうが、彼にもとにかく経験をしようという貪欲さが表れているようでした。

このエッセイを簡単に言い表すなら、友達が面白かった話を語ってくれるような、そんなフランクな雰囲気の読みやすいエッセイです。

ちなみに、書店でこのようにブックカバーで目隠しされているものを買いました。買ってみるまで中身がどんな本なのか分からないのですが、それが朝井リョウさんのエッセイだったんですね。

なぜゆとりか

ゆとり世代は1987年〜2004年生まれといわれています。私も該当しますね。そして朝井リョウさんが1989年生まれの34歳。

そんなゆとり世代を光原百合さんは解説で「かなり素敵な世代」と評していました。

ゆとりとはネガティブなニュアンスで使われがちですが、朝井リョウさんのような才能やユーモアに富んだ人がいるのだから、素敵な世代だろうと。

そもそもの話、さまざまな経験を通して人間性を豊かにするゆとりを取り入れる、というのがゆとり教育の発端です。

朝井リョウさんの豊かな経験や人との関わりの中かから、多くの人気小説や面白いエッセイが排出されているのだから、ゆとり教育も十分に意義あるものだったといえるでしょう。

時をかけるゆとり

¥726

時をかけるゆとり
朝井リョウ

本を読んで笑いたくなったらこのエッセイ!

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【太陽の子】沖縄を知るほど悲しみに結びつく温かい物語

この本は私が元図書館司書の知人からすすめられた本で、やはり司書さんがすすめるだけあって非常に読んでよかった読書体験でした。

戦争の悲しみ、沖縄の苦難、人の過去。世の中には普段見えていなくとも、とてつもなく大きな悲しみの渦が地下深くで息をひそめているような、ふとした時に触れる人の脆さに気が付けるようになります。

人間いうたら自分ひとりのことしか考えてへんときは不幸なもんや

太陽の子
灰谷健次郎

神戸市出身。17年間教職を勤めた後、沖縄やアジア各国を渡り歩き作家となる。1974年「兎の眼」で日本児童文学者協会新人賞を受賞。晩年は沖縄・渡嘉敷島に移住して作家活動を続けた。

あらすじ

小学6年生の女の子ふうちゃんを中心に、彼女の父親がうつ病になったことから様々な人の優しさや悲しみに触れていきます。

ふうちゃんは神戸の沖縄料理店「てだのふぁ」の一人娘として、たくさんの常連客たちに愛されていました。学校では担任の先生が父親の心の病を心配して、沖縄の草花遊びの本を贈ってくれました。

お父さんの病気には沖縄のことが関係しているのではないかと確信すると、沖縄戦争当時の写真や資料を友人に見せてもらいます。その惨状は見るに耐えられず、吐き出してしまうほどのショックでした。

しかし周囲の人から沖縄に関する部分に触れると、どうしても相手の辛い部分に触れてしまうことに気づきます。沖縄を知って相手を知りたいのに、そのせいで相手を苦しめてしまうことに悩みました。なぜこんなにも沖縄と悲しみが結びついているのか。

ある日、お父さんが一人で外出していったことがありました。そこは明石市の海岸で、父が少年時代に経験した戦火の沖縄本島南部の海岸に似ている場所でした。なぜお父さんの心の中だけ戦争が続いているのだろう。

補足情報

時代背景は沖縄戦争から30年後の1975年頃とみられます。

冒頭の丘の上では初秋、最終盤の丘の上ではその翌年の春を示しており、舞台のモデルは川崎造船所の正門に至るまでの界隈ですが、おきなわ亭「てだのふぁ」のモデルはなさそう。

猫(まやー)ユンタ

歌の中に猫の鳴き声のおはやしが入る沖縄民謡のひとつ。ふうちゃんのおとうさんの故郷、八重山の歌です。

意味は先島諸島にだけ課せられた人頭税に対するうらみつらみを猫に例えている。

安里屋(あさどや)ユンタ

ふうちゃんの退院後におとうさんと港に散歩に行った時、少し調子の良いおとうさんの様子が嬉しくて歌った八重山歌謡のひとつ。安里屋は八重山地方にある竹富島の地名で、祭祀歌や労働歌として歌われています。

竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマと、王府より八重山に派遣され、クヤマに一目惚れした目差主(みざししゅ、下級役人)のやり取り。八重山では、1637年から琉球王国が苛酷な人頭税の取り立てを行っており、庶民が役人に逆らうことは尋常では考えられませんでした。そんな中で求婚を撥ね付けるクヤマの気丈さは八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として語り継がれています。

MONGOL800 ver

白い曼殊沙華(彼岸花)

正式にはシロバナマンジュシャゲと呼び、一般的な赤い彼岸花の一種。原種の赤い彼岸花と黄色の鍾馗水仙(ショウキズイセン)を交配したものが、白い彼岸花となります。赤とは対象的に繁殖力が弱いので非常に珍しい。

赤い彼岸花は死を連想するイメージがついてますが、白い彼岸花は本作では幸運の象徴としてふうちゃんに喜ばれました。物語の最終盤におかあさんが「おとうさんの中に死んだ人がたくさん生きている、だからおとうさんは地球に住んでいる人の中で一番やさしい」と言う場面。神戸の丘の上の赤い彼岸花の群生の中に、たった一輪咲いた白い彼岸花は、暗におとうさんのことを示しているように思われます。

書評

この本を読んでいて非常に感動はしたのは2つの場面。

一つは、ふうちゃんの友達が担任の先生に宛てた手紙の内容です。小学生とは思えないほどの真剣さで、正直で、力強い筆致の手紙。中身は子供らしく真っ直ぐな想いが書かれていますが、その気持が綺麗に整理されており、きちんと自分の考えを表現しています。それが結果的に担任の先生を突き動かし、ふうちゃんをひどく感心させる出来事となっていました。

二つ目は沖縄の少年の手術が済み、連日病室で警察の事情聴取がされているとき。その日はふうちゃんと叔父さんが同室しており、沖縄の少年を問い詰めようとする警察に叔父さんが割って入ります。「法の前に沖縄もくそもない。みんな平等だ!」と息巻いた警察を前に、冷静に淡々と平等の本質を説く叔父さん。その人間味ある諭しかたに、何度読んでも涙が出てきます。不平等な過去の現実を語るろくさんを前に、真剣な眼差しで一言一句もらさずに受け止めようとするふうちゃんの姿勢にも心を打たれました。

この物語はそれぞれの人の悲しみに焦点を当てることで、今生きている現実の認識を広げてくれる力があります。

ふうちゃんは、自分の生がどれほどの多くの人の悲しみの果てにあるのかという現実に気が付きました。おかあさんは「おとうさんが病気になったのは、おとうさんの中に死んだ人がたくさん生きているからだよ」と語り、生者中心的な観点に対峙した主張をしています。

俯瞰して現在の私たちにあてはめてみれば、戦後の繁栄を果たした日本がこのような過酷な運命に虐げられた上に実現してるのだと認識しておかねばならないのです。過ぎ去った歴史は私たちに無関係のように思えるけど、実のところ細く長い同じ線上にあって、その線の先頭にいるのだということを教えてもらったようです。

あたりまえのようになってしまっている沖縄の現実に、改めて目を向けてみると実は知らないことばかりだったり。沖縄に限らず、私たちの周りには知っておくべきだけど、意識にものぼらずなにも知らないことがあふれているのかもしれません。

そして知ろうとしたならば、そこに足を踏み入れるのが憚られるような現実を目の当たりにするかもしれない。

ふうちゃんが健気で純粋だからこそ、彼女が次第に知っていく沖縄の暗い部分が顕著に浮き彫りになっていきます。そして真剣に沖縄と、人の悲しみと向き合おうとしてるから、周りの大人たちもふうちゃんを真実に導こうとしました。

ふうちゃんと一緒に真剣に生きて、知るべきことと向き合う勇気をもらうような、そんな気持ちにさせられました。

太陽の子

¥653

太陽の子
灰谷健次郎

沖縄と戦争について大事なことを伝えてくれる小説。

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【コーヒーが冷めないうちに】現実が変わらなくても過去に戻ってみたいか

「学生時代に戻って青春を取り戻せたら」「社会人一年目からやり直せば」このようなタラレバにとらわれて、過去に思いをはせたことがある人は少なくないでしょう。

では特別に過去に戻れるとします。しかし過去に戻ってどんな行動を起こそうと現実は何一つ変わらないとしたら、それでも過去に戻ってみたいと思いますか。

川口俊和

本作「コーヒーが冷めないうちに」が第14回本屋大賞ノミネート。シリーズ作品となっており、続編が刊行されており、全世界累計750万部以上。世界55か国に翻訳されハリウッド映画化も決定。

過去に戻れる喫茶店フニクリフニクラ

舞台は過去に戻れる席があると噂の喫茶店。その席に座ると望んだとおりの時間に移動して過去にタイムスリップが、そこには面倒くさい、非常に面倒くさいルールがあります。

  • 過去に戻っても、この喫茶店を訪れた事のない者に会う事ができない
  • 過去に戻ってどんなに努力をしても、現実は変わらない
  • 過去に戻れる席には先客がいる 席に座れるのは、その先客が席を立っと時だけ
  • 過去に戻っても、席を立って移動する事はできない
  • 過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ

面倒くさいルールは他にもあるが、それにもかかわらず、今日も都市伝説の噂を聞いた客がこの喫茶店を訪れてきます。

第2話「夫婦」

本作は4章立てで、それぞれ単話完結しているものの、全体で世界観がつながっている連作短篇となっています。私個人的におすすめの第2章は涙を誘われました。

アルツハイマーによって日々記憶を失い続ける中年の男と、彼を献身的に支える看護師の話。

店内のテーブル席に座る房木という中年の男。いつも旅行雑誌を広げて穏やかにコーヒータイムを過ごしています。しかし彼はアルツハイマーを患っており、常連でありながら顔なじみのスタッフに対しても「新しいバイトのかたですか?」と一言。喫茶店のスタッフや彼の周囲は承知の上で、房木に気をつかって接していました。

いつも静かに過ごすだけの房木が、ある日急に喫茶店に通い続ける理由が、妻に渡せなかった手紙を過去に戻って渡すためだと打ち明けます。しかし彼の頭の中ではその目的だけが残っていて、自分の妻が誰なのかはすっかり忘れてしまっていました。

房木がアルツハイマーを患ってから献身的に彼の支えとなっているのが、喫茶店近くの総合病院に勤める高竹という看護師です。そんな彼女がアルツハイマーの房木を支えるのにも深い理由があり、房木が過去に持ち込もうとした手紙によってすべての真相が明かされるのでした。

書評

4回泣けると評判!と帯に書かれていたように、大袈裟ではなく感受性が豊かな人や涙腺が緩い人は泣いてしまうでしょうね。

過去や未来を行き来して、自分や誰かの気持ちを確かめるだけで、現実に導かれる結果がこうも変わるのかと、うまく構成されている物語でした。

あらすじで紹介した「夫婦」は、房木の手紙の平仮名の多さ、不器用でも気持ちを伝えようとしてるところに心を打たれます。そして房木の現在の穏やかな性格がより悲壮感を醸し出していて、昔の豪傑な性格とのギャップがまた涙を誘います。

作中で都市伝説を扱う雑誌で取り上げられ一時期有名になっていましたが「結局過去や未来に行っても何一つ現実は変わらないのだからこの席に意味はない」と言われています。しかし――

人は心ひとつで、どんなつらい現実も乗り越えていけるのだから、現実は変わらなくとも、人の心が変わるのなら、この椅子にも大事な意味がある。

これは作者本人もインタビューで語っている、読者に伝えたかったことです。

現実に何かわだかまりのある人物が、過去や未来を行き来して、新たな気持ちに気づいたり、本心を伝えたりといった心温まるヒューマンドラマの連作短編集でした。

コーヒーが冷めないうちに

¥1,200

コーヒーが冷めないうちに
川口俊和

喫茶店の名はフニクリフニクラ。この物語は過去に戻れる不思議な喫茶店で起こった、心温まる四つの奇跡。