【ペスト】ロックダウンによる不条理を描いた人々の姿
著者 | 出版 |
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アルベール・カミュ 宮崎嶺雄(訳) | 新潮文庫:1969/10/30 原作1947年 |
Albert Camus
1942年「異邦人」が絶賛され「ペスト」「カリギュラ」等で作家としての地位を固める。1957年ノーベル文学賞受賞。
あらすじ
194x年オランを舞台にペストを取り上げた記録物語。物語の語り手によってペストが蔓延したオランでのできごとを記録していき、合間に登場人物たちのストーリーが進行していきます。
オランはアルジェリアの主要な港町で商業の中心地です。当時の時代背景はフランスの植民地だったので、本土にお金を流すための経済のための町という感じ。
ロックダウンされて経済がストップすればつまらない町なので、登場人物たちは一層不安に駆られています。
主人公は医師のリウーと、彼の友人でありペストによる災禍で彼の仕事を手伝い続けたタルーの2人。
タルーはこの本の語り手によるペストに関する重要な記録とは別に、街や日常の些末なことをただ手帳に記録。この手帳からも語り手の補足として引き合いに出されます。
ペストによって町がロックダウンされるまでの記録を追い、それ以降はざっくりと紹介します。
鼠の死体
4月16日
リウーは診療室から出るときに鼠の死体につまずく。普段こんなところに鼠が出現することなどあり得ない。さらに夕方にも瀕死の鼠を見かけた。
4月17日
門番のミッシェル老人が、リウーに「鼠の死体を置いていくいたずらをしてくやつらがいる」と報告。
この鼠の死体はリウーの診療所のみならず、すでに町中で噂になっていた。喘息じいさんのもとに問診に行くと鼠について尋ねられたり、駅のホームで予審判事のオトンも鼠の話をした。
その日の午後には新聞記者のランベールがアラビア人の生活条件についての調査で取材に訪ねてきた。とくに衛生状態での話だったので、ここ数日の鼠の件について触れているのだろう。
そして夕方に友人のタルーとも鼠についての会話を交わす。彼はよそ者のホテル暮らしだが、町のあらゆる些末なことを記録しており、鼠騒動についても関心を示していた。
ペスト発生
4月18日
門番のミッシェル老人の顔色が悪い。さらに大量の鼠が診療所で見つかった。市の鼠害対策課によって、毎朝鼠の収集がされる。
4月25日~28日
鼠の死体は日ごとに増え、ピークで1日に8000匹以上が収集された。
4月29日
鼠の死体の増加はぱったりとやんでいった。
門番のミッシェル老人がうなだれて、パヌルー神父に支えられていた。首や鼠径部に疼痛、腫物もあり、ひどく苦しんでいた。
4月30日
翌朝には一時的に症状が緩和されたが、午後にすぐさま熱がぶり返して、その後救急搬送するが死ぬ。門番のミッシェルを皮切りに、町中で熱病におかされて死亡する例が増加。
リウーは同業の医師と話してこれがペストだと認めざるを得なかった。リウーと友人のタルーはペストの対応措置をしてまわるが、患者の増加に追い付かない。行政の対応も緩慢で常に後手になっていた。
また鼠騒動とは別に、友人のグランから電話があり、ある男の自殺未遂現場に向かう。その男こそが犯罪者のコタール。当局から追われる身で孤独に耐えられず衝動的に自殺をはかった。ひとまずリウーとグランの気遣いもあって、警察には知らせず経過をみることに。
ロックダウン
患者は増え続け、ベッドの収容数が足りず、ついにリウーは知事に電話をかけ、市が閉鎖された。完全なロックダウンだ。
町に入っていくことはまだしも、街から出ることは一切許されない。電話も郵便も規制された。最初はせいぜい一時的なものだろうと世間は思っていた。
食料は高騰、病に効くと噂のハッカ飴がよく売れ、映画館は同じフィルムをひたすら流して儲かった。尋常では考えられない街の様相になっていく。
よそ者の記者であるランベールは、リウーのもとに町から出られるよう便宜を図ってくれないかとくれと訪ねてきた。
パヌルーは教会で集団祈祷を催して精神的にペストに対抗するよう説いていた。言うところによると「ペストは神の審判のしるし」と訴えて、この報いに応えるよう人々に悔い改めるよう扇動。つまりペストは天罰ということだ。
後にオトン氏の幼子が苦悶の中で死ぬのを見て、宗教の信条を越えて助け合うことになる。
タルーはリウーなどの医師だけでは限界があることから保険隊を組織した。
グランは公務員として働きながら保険隊の幹事として熱心に取り組み、さらに自分の仕事として作家業もしている。彼は目立たないが堅実で真面目でリウーからの信頼も厚い。
一方で元犯罪者のコタールはペスト騒動にまぎれて逮捕されることが有耶無耶になり、この状況を歓迎していた。
同じロックダウン状況下でも、人それぞれの営みと向き合い方が映し出されている。
不条理
食料補給はより厳しくなり、貧しい家庭は極めて困窮、富裕な家庭はほとんど不自由しない格差が広がった。
ペストは公平に猛威をふるうが、市民のエゴイズムによって人々の心には不公平の感情が先鋭化されていく。もし唯一の平等があるとすれば、それは人はみんな死ぬということである。
こうしてペスト下における不条理な世界をあらゆる立場の人物を通して描いていく。
感想・書評
語り手は終盤まで正体を伏せられていますが、この語り手の記録によって人々が不条理に向き合う様相、語り手自身が不条理に見舞われる始末を見届けることになります。
この記録的な文章がいかにも客観的かつ無感動に徹しているようですが、その簡潔な文章の影にわずかな感情や気持ちが息づいてるのが不思議な読み心地でした。想像や感情に訴えるよりも、主として頭脳に訴えるような作品です。逆にその特徴的な文章が、小説にしては硬く読み難い気もします。
登場人物は多いけど、それぞれの立場が明確になっているので、人物の輪郭がくっきりとして群像劇の中ではかなり読み進めやすいものだと思います。
ペストによるこの不条理な世界を後世に残すための学術的記録のような重みもありながら、不条理に対する抵抗心や受容のしかたが個人的な事象として捉えられる日記ともいえるでしょうか。文学的修練に培われたカミュの文体の魅力ですね。
ランベールの成長
個人的には新聞記者のランベールが次第に心変わりしていく様子が好きでした。
町からの逃走便宜をリウーに断られてからいろいろと奔走したが、合法的には抜け出せないことを悟って密輸業者を介して衛兵を買収して脱出を試みるも失敗。最終的に彼も保険隊に志願し、自分一人の幸福よりも全体の幸福を願う人間に成長していきました。
町の惨状を目の当たりにして関わった以上、自分はもう町とは無関係の人間ではないこと。そんな気持ちを無視してパリに帰れば、待っている彼女に顔向けできなくなるだろうと想像するんですね。
最初は器の小さい嫌味な人間だと思っていたけど、いざ自分が同じ立場になってみたら、やっぱり自分も我先にと町から出ようとするかもしれないです。だからこそ彼の人間味にはリアリティがあって、その成長ぶりに希望を感じられるんですよね。
リウーとタルー
私が最も好きな登場人物はなんといってもタルーでした。
リウーとタルーの友情、知的な会話、タルーが身の上話を打ち明けて友情記念に二人で海に泳ぎに行く場面。いい大人が青春しているようで、この2人の醸し出す空気間には不思議な魅力があります。
「ペストが収束して平常の生活に戻るってどういうことか」と聞かれると、タルーは「新しいフィルムが来ることですよ、映画館に」と笑いながら言いました。このときの哀愁とユーモアは、本当に彼独特の味わいだと思います。
そして言ってしまうとタルーは最後にはペストに罹ってしまうのですが、ここでもやはりカミュの文体はとてもドライで、静かな感動を呼び起こされるようでした。
不条理文学
作者のカミュは不条理哲学を打ち出した人で、戦争・災害・全体主義といった極限状態への抵抗を描いてきました。
本作のペストはナチスドイツに対する暗喩ともされています。
原作の1947年は第2次世界大戦が終わって間もないので、多くのヨーロッパ人はこの本を自分事のように理解していました。
ダニエル・デフォーのエピグラフに表れています。
つまり戦時中にナチスドイツへのレジスタンスに参加したカミュの体験が、ペストという別の形をとってフィクション作品として再現されています。
もっと広義的には、この世の悪、不条理などすべてに対する私たちの姿勢そのものと言えるでしょうか。人間が不条理とどう向き合って生きてくのかを示してくれる群像劇でした。
【参考図書】ペスト大流行
東京大学名誉教授・村上陽一郎による、中世ヨーロッパの崩壊を書いた「ペスト大流行」
黒死病とよばれたペストの大流行によって、ヨーロッパでは3千万近くの人々が死に、中世封建社会は根底からゆり動かされることになった。記録に残された古代以来のペスト禍をたどり、ペスト流行のおそるべき実態、人心の動揺とそれが生み出すパニック、また病因をめぐる神学上・医学上の論争を克明に描く。
古代世界のペスト、最初のペスト文学から始まり、その歴史をたどっていきヨーロッパ社会を脅かしたペストの驚異を浮き彫りにしていく本です。
- ペストは保菌者であるノミの咬傷からペスト菌が血液中に注入されて発病
- ネズミをはじめとした齧歯類も共通して宿主となり、とくにクマネズミが媒介
- 「腺ペスト」は40度前後の熱発、麻痺や硬直、精神の倦怠感や錯乱、そして局所的な淋巴腺の腫脹、紫斑や膿胞が黒いことから黒死病という
- 「肺ペスト」は淋巴腺の腫脹は見られないが、肺炎症状で心機能が低下して突然死を誘うこともある
- 死亡率は時期や社会的状況をすべてひっくるめて平均30~40%
- 現代でも地球上にペストはあるが、有効な抗生物質により歴史的な大流行はもうなさそう
- ペストに限らず流行病の多くは神の意思、あるいは神託として解釈された歴史がある。神学的立場と医学的立場からの対立が見られる所以
また、バッタの大量発生が間接的にペストの流行に関連しているなど、興味深い話やデータなどもありました。
こういった小説との関連本もあわせて読んでみると、より作品の深みを味わえるような気がします。