【ランゲルハンス島の午後】CLASSY.にて2年間連載した村上春樹エッセイ集
著者 | 出版 |
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村上春樹 安西水丸(絵) | 新潮文庫:1990/10/25 |
村上朝日堂画報という連載で2年間にわたって掲載した。本書では連載からエッセイ24篇+表題「ランゲルハンス島1の午後」を書き下ろして書籍化。
あらすじ
本書から個人的に気に入った3つのエッセイを紹介します。
シェービング・クリームの話
タクシー料金を払う際に万札しかなく小銭がないときどうするか。禁煙していたのでタバコを買うわけにもいかず、そんなときは決まって化粧品店でシェービング・クリームを買ってお金を崩す。
それを持ったまま街を歩いていると、街がいつもとは違ったように見える。拳銃をポケットにつっこんで街を歩くのを想像してもらえればわかりやすい。それがなんだかシュールに思えるのだ。
外国に行くと必ずその土地のスーパーでシェービングクリームを買う。国ごとに特色があるのか、シェービングクリームによって外国に来た実感を得られるようだ。
お気に入りはジレットの「トロピカル・ココナッツ」で、これを使うと一歩外はすぐにワイキキ・ビーチという気分になれる。
ONE STEP DOWN
ものに名前をつけるのが好きで、小説家になる前にやっていたバーは昔飼っていた猫の名前をそのままつけた。
あまり深く考えずに、ぐるっとあたりを見回して目についたものを名前につけるくらいが丁度よい。もしまた店を始めるとしたら「カンガルー日和」という名前にしようと思っていたが、その機会がなかったのでそのまま短編小説のタイトルに流用した。
ワシントンにワンステップダウンというジャズクラブがある。由来がとても気になったが、お店に一歩踏み入れた瞬間わかった。
店に入った瞬間、そこは1段足場が下がっているから。
哲学としてのオン・ザ・ロック
翻訳家でも著者は学生時代から勉強は嫌いだったものの、英文和訳の参考書を読むのだけは好きだった。なにが好きかというと、その英文和訳の例文がけっこう飽きないし面白い。そのうちにごく自然に英語の本が読めるようになってしまった。
その例文の一つサマセット・モームの「どんな髭剃りにも哲学はある」という言葉。些細なことでも毎日続けていれば、そこに自ずから哲学が生まれるというもの。
バーを経営していたころにはどんなオン・ザ・ロックにも哲学はあるのだと思いながら8年間毎日作っていた。
ただ氷の上にウイスキーを注ぐだけと思うかもしれないが、美味しいオン・ザ・ロックには確実に哲学がある。氷の割りかた一つとっても品位や味が変わる。
感想・書評
村上春樹の小説を読んでいると、クールでニヒルな人物が多いように思います。だから作者自身もそうなのかと勝手にイメージを重ねようとしてしまいますが、エッセイを読んでいると意外とユーモアのあるかたなんだなと思います。
文章も小説とはまた違った味で、それでいて「あ、やっぱり村上春樹だな」と思えるんですよね。
そして安西水丸のイラストがかわいらしい。カラフルな色づかいだけど、ちかちかしていないマットな質感の色味というのか、ポップさと落ち着きを両立したような素敵な絵です。
25編の内3つほど紹介しましたが、何度か読み返しているくらい、気軽に繰り返し楽しめるエッセイでした。なによりイラストが目をひくほどの派手さはないけど、なぜか見入ってしまう癖になるような雰囲気。
村上春樹のこの肩ひじ張らない文章、たぶん思いつくままに綴ったであろうエッセイが読んでいて心地良いのです。自分もエッセイを書いてみようかな、なんて思わせる魅力があるのではないでしょうか。
- ランゲルハンス島とは膵臓の中にある内分泌器官で、主にインスリンを分泌して血糖値の調整を行う役割がある。 ↩︎