【博士の愛した数式】家族と記憶と数学の美しさについての物語
著者 | 出版 |
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小川洋子 | 新潮文庫:2005/12/01 |
第1回本屋大賞受賞作・読売文学賞。
「放浪の天才数学者エルデシュ」にて、子供をεイプシロンと呼んだ話が人物モデルとなっている。
あらすじ
記憶が80分しかもたない数学博士と、その家政婦と息子の3人の温かな絆を、数式の美しさを織り交ぜながら紡いだ物語。
80分しかもたない記憶
主人公の「私」は、家政婦組合の紹介で博士のもとへ派遣された。30代で組合の中では一番若いが、キャリアは10年、どんな顧客ともうまくやってきた。
博士は64歳の数論専門の元大学教師。しかし彼の顧客カードにはクレームにより家政婦がおろされた記録が8回ある。手ごわい相手だろう。
面接で博士の義姉に求められたのは、難しいことはなくただ食事から家事までの世話。ただし博士のいる離れと母屋を行き来しないことと、トラブルは必ず離れの中で治めることが条件だった。
ひとつ難局があると擦れば、それは博士は記憶がきっかり80分しかもたないこと。17年前の交通事故により記憶に障害が現れ、事故以前の記憶はあるが、それ以降は常に80分しかもたない。頭の中に80分のビデオテープしかセットできず、常にそれを上書きしながら生きているイメージだ。
博士と私と息子
初対面でいきなり靴のサイズや電話番号など数字にまつわる質問を投げかけられた家政婦。靴のサイズが24と答えると、4の階乗だと数字に意味を見つけて喜ぶ博士。
普段は背広姿だが、もっとも普通の人と違うのは背広のあちこちにメモ用紙をクリップでとめていること。80分の記憶を補うために忘れてはならない事柄をメモして、そのメモの存在すら忘れないように体に貼りつけているのだ。
博士の日常は、数学マニア向けの雑誌に載っている問題を解いて応募すること。金持ちの数学愛好家が賞金を出していて運が良ければお金がもらえる。そうでなくとも博士のかつての仕事や、事故の補償などで生きていくには困らないであろう。ただ数学への愛と好奇心で雑誌懸賞に取り組んでいるのだ。
2週間が経過したころに袖口に新しいメモ「新しい家政婦さん」が追加されていた。
私の誕生日2月20日の220と、博士の腕時計に刻まれたNo284の284は、それぞれの約数の和がお互いの数になる友愛数といって、滅多に存在しない組み合わせ。私はこれをきっかけに博士と数学をもっと理解したいと努めるようになっていく。
ある日の仕事中に私に10歳の息子がいる話になった。シングルマザーなのでいつも家で一人留守番をしている。
博士はそれはいかん、絶対に一人にさせないで職場(博士の家)に連れてくるように言った。どうせ明日になれば忘れるだろうとたかをくくっても無駄だと、家政婦に息子がいると背広のメモを新たに追加する。
博士は子供に対してはとにかく寛容で過保護な性格だった。「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」そういって息子を名付けてやった。
博士はルートの宿題をみてやったりと、これから私と息子と博士の奇妙な3人の生活が続く。
残酷な宣告
ルートは博士の家のラジオが壊れているからプロ野球中継が聞けないので、博士にラジオを修理するよう頼んだ。かわりに博士の出した宿題に挑むことを条件に約束をした。
「1~10を順に足していくと数字はいくつになるか」
この宿題はただ単純に足し算を繰り返すだけでなく別の解き方もある。博士はそんな数学の面白さや工夫の余地をルートをに教えてあげたかった。
ルートは早々に諦めてしまったが、私はずっと考え続けていた。後に博士から三角数を使って綺麗な式で簡単に求められることを教えてもらう。
博士とルートと3人で野球観戦に行った帰りの日、博士は高熱を出してしまい放っておけなかったので看病しながら泊っていく。普段絶対に外出しない博士は、少し無理をしていたのかもしれない。
翌朝博士はベッドですすり泣いていた。それは背広の一番目立つ場所に留められたメモ「僕の記憶は80分しかもたない」を読んでいたからだ。毎朝博士はこの残酷な宣告を受けて、それを何年も繰り返している事実に気が付いた私はひどくショックを受けた。
そして看病のためとはいえ、この日、業務を逸脱して博士の家に泊まっていたのが、義姉からのクレームとなり私は担当を外されてしまう。
オイラーの公式
博士になついていたルートは、私が担当をはずされた後も個人的に博士の家に遊びに行っていたが、それがまた義姉からのクレームとして呼び出された。
義姉の主張は、私が博士の財産を目当てに個人的な付き合いを望んでいるのではないかという疑いであった。加えて、義姉と博士の知られざる過去から、それ以外に別の主張も含んでいるようだった。
私と義姉がルートと博士の前で言い合いになると、しびれを切らした博士が一つのメモ書きをテーブルにおいて退室。
それはオイラーの公式『eのπi乗+1=0』
※πは円周率、iはー1の平方根の虚数、eとπは同じ循環しない無理数。eは自然対数の底。πとiを掛け合わせた数でeを累乗し、1を足すと0になる。
義姉はその数式の美しさ、博士のことをより理解していたのだろう。私はその意図が分からないままに、博士の家政婦として復帰をすることができた。
しかし博士の家政婦として復帰してからしばらく、博士に異変が現れはじめた。
これまできっかり80分もっていた記憶が、だんだんとさらに短くなっていき――。
感想・書評
家族とはまた違った、人とのつながりを感じる心温まる作品です。全体的に内容が易しいので、大人になって読み返しても子供の頃に得た読後感とあまり変わりませんでした。子供から大人まで広い人に受け入れられやすい、読みやすい本ということですね。
タイトルに数式とありますが、算数や数学が苦手だった人も安心してください。理系じゃなくても大丈夫。主人公の家政婦も数学は苦手だけど、博士の話す美しい数式にどんどんと引き込まれていき、博士を理解しようと努める家政婦がその数式を文学的に昇華してくれるようでした。
特筆すべきは特殊な設定、博士の記憶が80分しか持たない点ですね。
家政婦が毎日訪ねていても、仕事の始まりはいつも自己紹介からのスタート。前日までに交わしていた会話の文脈は一切なくなるし、博士に出会って間もない頃は戸惑うことが多かったです。
逆にその記憶の忘却が良い方向に働くこともありました。博士の数学の話が難しくても何回でも遠慮なく同じ質問をできること。ちょっとした失言があっても次の日には忘れてくれていることなど。
記憶がなくなるのにどうやって関係性を築いていくのか、そもそも関係を築いていくことに意味があるのか。どうせ忘れるのに。ほかの家政婦が手に負えなくても、主人公は最大限に博士の人間性と記憶の特性の理解に努めていました。そして博士の記憶がなくなることに配慮をしながらも、今を生きるこの瞬間を大事にしようとしていました。
3人で野球観戦に行く場面。家政婦は「お金ならあとでいくらでも取り返せるが、老人と少年が一緒に野球を楽しめる時間は、おそらくそう沢山は残されていないだろう。」といって少し奮発して球場に連れていくのです。
毎日がリセットされる博士だけど、それでも確実に博士と家政婦と息子の関係性が少しずつ深まっているのが分かってきます。私はここに人間関係がいかに相手の理解に努めようとする姿勢が重要であるかが読みとれると思います。
義姉(未亡人)の真意
未亡人の義姉は、家政婦の仕事以上の干渉に対してやたら過剰な反応を示していました。
作中に博士と義姉の2人が仲睦まじく映る写真が発見されます。
明言されてはいませんが、博士と義姉が恋仲であったであろうことが容易に想像できます。単純に考えれば義姉の家政婦に対する嫉妬とも思えるでしょう。
読者の想像にゆだねられる部分ではありますが、おそらく義姉は博士に余計な心労や混乱を与えないように離れと母屋でなるべく接触しないようにしていました。
あるいは博士の記憶が事故以前しか保たれていないとなると、博士の中の義姉はもっと若い姿のままのはず。義姉はすでに年老いた自分の姿と博士の記憶の中の自分とでギャップを感じられたくなかったとも思われます。
そう思うとわざわざ家政婦を雇って博士の世話を任せていることにも納得できます。
なぜオイラーの公式だった
博士がオイラーの公式のメモを置いて退室し、険悪な空気を治めた場面がありました。なぜオイラーの公式を見た義姉は引き下がり、一度クビにした家政婦を復帰させたのでしょうか。
ある数学者が素晴らしい考察をブログに残しているので要約して紹介します。
オイラーは人類最高の数学者で円周率、虚数単位、三角関数などを定義した。自然対数の底eはオイラーのEulerにちなんでいる。並の数学者が生涯に書き上げる論文を1年弱で書き上げていたほど多くの実績がある。
π、e、iという数学上まったく無関係にそれぞれ研究されてきた基本定数と、最小の自然数である1を組み合わせると0になってしまう、その極めて簡潔なところに感覚的な美しさがある。
まさにこのπ、e、iが、博士と家政婦とルートの3人を示しており、それぞれ無関係だった三者が綺麗に収束していく先行きを理解して義姉は引き下がった。
オイラーの公式の部分だけは、数学的にも文学的にも読み解くにはちょっと難しいですね。