
年老いて落ち目となったひとりの漁師が、年齢による衰えにも抗いながら、3日3晩大物カジキと海で格闘。
非常にシンプルなストーリーで、極論ただおじいさんが大きなカジキを釣り上げて帰ってくるだけ。ひたすら一人で孤独に3日間船の上でカジキと格闘しています。
自然の驚異に屈しない老人の意地とプライドが、まっすぐと淡々に描かれていました。
あらすじ
老人サンチアゴのかつての異名はザ・チャンピオン。歴戦の漁師で、その体つきや傷までもがたくましい男です。
しかしここ最近はずっと不漁続きで、ついにサンチアゴも落ち目となりました。
少年マノーリンはサンチアゴのことをずっと慕っていたが、彼の不漁が40日続いたころ、ついに船を降りるように親から言われます。それでも彼はまだサンチアゴの船に乗りたかったし、一緒に漁に出たかった。そんな少年が、老人の最後の漁になるであろうことを悟りながら彼の出港を見送ります。
サンチアゴは日が昇るまでに仕掛けを準備し、堅実な手順でぬかりはありません。舟を波任せにしようとしたところ、ついに鉤にカジキがかかります。
かなりの大物で思うように引き上げられず、カジキの体力が底をつくのを待つしかない持久戦に突入。4時間カジキに綱を引かれながら、老人はそれをただひたすら支え続けます。手を攣って、擦り切れて、背中を痛めて、休憩もとれず、綱にかけてから、丸一日たった頃、カジキがようやく海面に姿をみせました。舟よりも2フィートは長いその巨体を。
とうとう2晩を明かして3度目の日の出。カジキと舟の距離を縮めるチャンスが巡ってきました。綱をどんどんたぐり寄せて、船べりで銛を突き下ろしてなんとかしとめました。
カジキを舟にくくりつけて家路につこうとするも、今度はカジキの血を追ってサメが迫ってきました。老人のさらなる試練の結末はいかに。
書評
読者視点だと釣りや漁にある程度関心がないと想像しにくい状況が多いなとは思ってました。舟はオールを漕いだりしてるから小さいもので、使ってる道具や操作などはなんとなく理解できます。
野球選手の話も頻繁に出てくるので、巻末の解説に続く翻訳者の「翻訳ノート」を先に読むことをおすすめします。当時のキューバーとアメリカの野球事情と、老人が出航する海の実態について補足されています。
老人は今回の漁以前は三か月近く全くの不漁だったから、周囲からはもう落ち目だとされていました。そんな状況で、老人が漁師としてのプライドを携えて、慕ってくれる少年のために最期にひと花咲かせた話。
読み手の感動を誘うような湿っぽい感じではなく、「ついにやったな」という感じで静かに感動させるドライな読みごたえでした。これがいわゆるハードボイルドといわれる感覚なのかもしれません。
状況自体は船上で水中のカジキとひたすら膠着状態、場面転換がなく老人のモノローグが続くので、少々退屈で読みつかれる気もします。
また、老人は決して嘆いたり、状況を悲観したりはしません。サンチアゴの海に対する敬愛が彼を支えてくれたいたのでしょう。そんなサンチアゴでも弱音をもらすのが、船の上で何度も「あの子がいればな」とぼやいて、マノーリンが心の支えになっていたことも伺えます。
一方でマノーリンも、上手な漁師はたくさんいるけど、おじいさんみたいな最高の漁師はほかに一人もいない。二人が信頼し合っていたのがわかる素敵な関係です。
そんな信頼関係が最後のシーン、マノーリンが老人のぼろぼろの手の平を見て泣くところに生きていますね。老人の帰りが遅かったのを心配していたのではなく、帰ってくることは信じていたし、そのうえで漁師としての誇りを見せられたことに感動したように思われます。