
政府(茶色党)によるペット特別措置法で飼っているペットの色を茶色に統一された世界。法律は拡大解釈され、後に動物全体、服や法律などの文化、新聞やラジオなどメディア、言葉や思想、なにもかも茶色に染まっていき、全体主義が静かにせまってくるディストピア物語となっています。
全体主義とは個人の自由や利益を社会全体の利害と一致するよう統制された思想のこと。具体的にはソ連、毛沢東の中国、ナチスのドイツなど。国や政治家にとっては政策を滞りなく強制的に押し進められるメリットがありますが、国の権力が強すぎるあまり個人の権利が軽視されます。警察が力を強めて、人々が互いに反国的な者がいないか牽制し合って、社会全体が疑心暗鬼な監視社会のようになっていきます。
無知や無関心がいかに罪であるか、どれだけ恐ろしい社会を生み出してしまうのか、そういった歴史を顧みた小さな物語です。
自分自身の驚きや疑問や違和感を大事にし、なぜそのように思うのか、その思いにはどんな根拠があるのか、等々を考えつづけることが必要なのです。
高橋哲也 “考えつづけること”
あらすじ
“俺”と友人シャルリーの日常が静かに淡々と茶色に蝕まれていく様子が描かれます。
シャルリーは飼っている犬を安楽死させなければいけません。ペット特別措置法によって茶色以外のペットは飼ってはいけないからです。
始まりは増えすぎた猫を規制するための法律でした。茶色を残す理由は「子供を産み過ぎず、えさも少なく済み、都市生活に適している」と国の科学者が主張するから。配布された毒入り団子で茶色以外の猫や犬は処理されました。
一時は胸が痛むが、国が決めたことだし感傷的になっても仕方ない、時間がたてば忘れるでしょう。
しばらくして『街の日常』という新聞が廃刊になります。ペット特別措置法に対する批判的な記事を書いていたから。新聞を読みたかったら『茶色新報』しかない。『街の日常』の廃刊をきっかけにその系列出版社がつぎつぎと裁判にかけられ、図書館や本屋の棚から多くの本が消え、メディアも茶色に染まっていきました。
ある日茶色い猫を飼い始めた俺は、シャルリーを家に招いたところ、彼も新しい茶色い犬を飼い始めていました。馬鹿げた法律も受け入れてしまえば簡単なことで、従っていれば面倒もないし安心です。
しかし信じられないことが起こる。茶色い制服に身をつつんだ自警団が家のドアを破ってシャルリーを逮捕した。以前茶色じゃない犬を飼っていたから。
そうしてすべては茶色に染まっていき、ついに朝までも茶色になりました。
書評
本の構成はたった14ページの物語と、巻末に東大名誉教授のメッセージと称した解説が載っています。実質この解説のほうがメインとなっていて、ここで作者が伝えたかったことをすべて分かりやすくまとめてくれていました。
出版当時のフランスでは、全体主義に対する危機感をより多くの、とくに若者に知ってもらうために印税を放棄して1ユーロで発売されていました。だいたい100円くらい。
日本での定価は1,000円で、ボリュームのわりにまあまあな値段に感じるかもしれません。ですが製本のクオリティは高い気がしますし、それだけ考えさせられる重要なメッセージが凝縮されている本です。
ヴィンセント・ギャロのイラストは、表紙のほかに本編中に多く挿入されています。私は絵に疎いので本の内容との関連性や、描き下ろされたイラストの芸術的価値は分かりませんが、少し怖い印象を受ける絵だと思いました。物語に合わせて、ギャロの絵が全体主義の静かに迫ってくる不穏な空気間を表現しているかのようです。
主人公の俺は新しい法律に違和感や、妙な感じ、言い足りないこと、すっきりしない、そういったもやもやを常に抱えていました。心の奥では明らかに世の中が良くない方向に行こうとしてるのを察知しているのに、それをあらゆる言い訳や権力への従属姿勢において諦めていく姿が描かれています。
全体主義に対する警鐘を鳴らす本だが、声高に糾弾するのではなく、俺とシャルリーの日常が静かに蝕まれていく恐ろしさを淡々とした筆致で綴っています。法律が次々に課されても直ちに日常をおびやかすものでもない、その法律に従っていればとりあえずは安全だからと茶色の支配に取り込まれていくわけです。
「ファシズムや全体主義は権力者による一方的な恐怖政治をしくことで成立するだけではなく、民主主義のもとに多くの人がそうした萌芽を見過ごしたり、気づきながらも様々な理由から目をそらす」
人は自分自身が直接深刻な被害に遭わない限り、いつも事なかれ主義でやり過ごそうとします。ここに俺とシャルリーに対する怠慢、自己保身などといった全体主義を生み出す要因をあぶり出しているのでしょう。実際に”俺”は思考停止に陥って最後まで何も行動を起こすことはありませんでした。
つまり我々が政治に無関心であり続けることこそ、社会をより悪い方向にもっていく一手を担ってしまっている可能性があるわけで、国民すべての人に関係がある話です。
日本もこういった茶色に染まっていく兆候はいくつもあるわけで、決して他人事のような話ではないですね。すでに大きな間違いを犯す萌芽を、私たちは見過ごしてしまっているのかもしれません。
茶色の朝
茶色の朝
フランク・パヴロフ (著)
ヴィンセント・ギャロ (絵)
藤本一勇 (訳)
高橋哲哉 (著)
仏ベストセラー・反ファシズムの寓話。日本オリジナル編集版の絵とメッセージにも小学生から90歳代まで世代を超えた共感が集まる。