
哲学というと堅苦しい響きに思えますが、ざっくり言ってしまえば「考えること」こそ哲学なのです。考えて、悩んで、迷って、信じて、こういった心の働きは日常生活の中にありふれたもの。
このような哲学を漫画として日常に絡めて、哲学者ジャン=ポール・サルトルを易しくコメディに仕立て上げた三巻完結漫画です。
実存は本質に先立つ。君を縛るものがあるならそれは君が作り出した君の中の真善美という虚像。その虚像の間違いを探し修正し続ける、それが人間になるということだ。 それはときに怖いし孤独かもしれない、だから生きる意味も分からなくなるかもしれないが、それでも楽しいから生きる。
サルトル
あらすじ
美大を目指す女子高生巫(かんなぎ)マリオ。
進路に悩む中、ふと川でぶさいくな喋る犬(パグ)を拾います。実存主義者で哲学の巨人ジャン=ポール・サルトルが犬として現世に転生。
サルトルさんはパリに帰りたいがここは2021年川崎市。巫家に馴染んでたばこは吸うわ、酒を飲むわ。そんなサルトルさんが巫家の人々のお悩みを解決していく哲学コメディ漫画。
三巻で全体の世界観はつながっていますが、基本的に1~2話で完結するスタイルです。その中から個人的に印象に残ったエピソードを紹介します。
正しさは既製品ではなく特注品
マリオはデッサン教室からの帰りに親友であるカイリに会いました。
カイリはマリオのことが友達としてではなく、恋愛対象として好きです。度々その気持ちをそれとなく伝えるような行動を起こすが、マリオはそれにまったく気が付きません。ついに痺れを切らしたカイリはマリオに告白するが、普通とは違う愛の形に戸惑ってしまいます。
デッサンの先生(ゲイ)に相談すると、マリオ自身がカイリのことを恋愛対象として好きなのでなければ、どうしたって相手を傷つけない選択はあり得ないと言われます。好きなら受ける、いやなら断る、この二択以外はない。相手にとっては断れば失恋、同情されてもみじめ。そもそも現時点で他人に相談を持ち掛けたことがアウティングになってしまうことを自覚しなければいけません。
普通とはなんなのか。勇気を出して告白した友人に対する誠実な応えとは。
傷つかない答えを探すのは正しい答えを探しているとは言えません。大事なのは今後の二人の関係がどうあってほしいかを答えに導くこと。
人間は言葉でできている
普段は引きこもりがちなマリオの兄がみんなでBBQに来ました。雰囲気に馴染めない兄はこの楽しい場でも自分の居場所がないような気がしています。
そこでサルトルさんが誰とでも軽快におしゃべりする秘訣をアドバイス。
おしゃべりは発語による言語表現で、言葉は彩ることができます。古代ギリシアでは雄弁術なんてものがあったほど重要な能力。そこで生まれた技術がレトリックで、簡単に言えば直喩・暗喩・換喩などの比喩表現です。ほかに誇張法、列叙法などベストセラー作家であるサルトルさんならではの説得力を展開。
人間は思考も表出も言葉で行い、言葉なしでは生きられません。それなのにコミュニケーションがうまくいかないのは決まって舌足らずに原因があります。
だから時に言葉は相手に頼るしかありません。気持ちが伝わるように投げかける。
もしもうまくおしゃべりできないなら、半分は相手の責任だと思っておくと気が楽になります。
愛とは自由だ
あらゆる決断を先送りしてきたマリオの兄が、周囲の人たちによって外堀を埋められ、強制的に縁談が進められ結婚することに。
そこでサルトルさんが円満な結婚生活の秘訣をアドバイス。
ずばり「浮気をしなさい、お互いに」
夫婦円満には浮気と自由恋愛にある。結婚するほど愛しているならその愛は必然で素晴らしいもの。
しかし偶然の愛もあります。浮気も愛に変わりなく、愛そのものはすべてが美しいはず。
人間は自由な存在で、誰を愛し誰と肌を重ねるかも自由。自由の寄る辺のなさに不安を感じ、道徳というまやかしに自分をはめこもうとするのは欺瞞です。
書評
哲学者サルトルの言葉を、現代人のお悩みに回答する形で漫画にした哲学コメディ漫画。
サルトルの主張が現代的な感覚では絶妙にかみ合わない部分もあるが、毎話短いストーリーの中でうまい返しで問題解決に導いてると思います。小難しい哲学の話というのはなくて、私たちが日常生活の中で感じるよくある悩みを哲学的アプローチで諭してくれるようです。
そんなサルトルがぶさいくなパグ犬の姿で核心的な名言を残すギャップがシュールです。サルトルの性格面も強調されており、特に愛や性の話になると熱くなりすぎて下卑たゲス犬になります笑
哲学は難しいものとして捉えられがちですが、極論考えることが哲学で、普遍的な悩みに対する答えを導こうと努力するのは全て哲学です。そして人は生きている限り必ず悩みます。しかも皆同じような問題で悩むもので、絶対的な回答はないものの、哲学はそれぞれの個人が考える指針になってくれるでしょう。
JK一家の日常漫画に笑いと哲学を織り交ぜた新しいジャンルだと思いました。
JKさんちのサルトルさん
JKさんちのサルトルさん
大間九郎
さのさくら(絵)
ふいに出会ったJKのマリオさんと犬のサルトルさん。この出会いが、実存主義が、マリオさんと周囲を緩やかに変えていく。「上手く」生きたいなら別の本を、「ご機嫌に」生きたいなら、この本を。全3巻。