
藪で、蛇を踏むと「踏まれたので仕方ありません」と声がして、蛇は女になりまし。「あなたのお母さんよ」と、部屋で料理を作って待っていました…。若い女性の自立と孤独を描いた芥川賞受賞作。
軽く読み切れそうな薄い文庫本をと思って手に取った小説でしたが、思いのほか内容が難しくて読むのに苦戦しました。
よくわからないけどね、しょわなくていいものをわざわざしょうことはないでしょ
蛇を踏む コスガ
あらすじ
職場の数珠屋「カナカナ堂」へ向かう途中、公園で蛇を踏んでしまい、その蛇は「踏まれたらおしまいですね」と言い、人間の姿に化けてひわ子の家の方角へ消えていきました。
ひわ子はコスガと一緒に数珠を納品しに甲府のお寺へ行きます。そこで住職が最近蛇が増えてると世間話をしたもので、ひわ子はコスガに蛇を踏んだ話を聞かせました。
部屋に帰ると昼間の蛇が50歳くらいの女に化けて夕飯を作っています。蛇はヒワ子の好きなご飯も、使うべき食器も、ビールにつぎ足されるのが嫌いなことも全て把握しているのです。
蛇にあなたは何者なのかと尋ねると「ヒワ子ちゃんのお母さんよ」と返答。心配になって本当の母である静岡の実家に電話をかけてもいつも通りのやり取りがあっただけで、母と名乗る蛇が何者なのかはわからずじまいでした。
翌日カナカナ堂に出勤するとコスガさんに蛇は追い出しなさいよと忠告されます。
蛇と共に過ごす三日目の晩、食事で気が緩む前に開口一番に蛇の存在を追求しました。しかし何度聞いても蛇の返答は「あなたのお母さんでしょう」と一点張り。
そうして蛇が来てから二週間が過ぎたころ、コスガさんと喫茶店で向かい合い再び蛇のことを聞かれました。そして彼の口からうちにも20年前から蛇が居着いてると告白されます。それはコスガの妻ニシ子についてきた蛇で、ニシ子の叔母だと名乗って最初に追い出せなくなったうちに20年も経っていました。
そんな蛇との共生を嬉々として受け入れてしまってるニシ子のことがコスガは怖いと漏らすのです。
書評
蛇を踏んだ描写や化ける様子など生々しい書き方が特徴的でした。
部屋じゅうに蛇の気配が充満していた。
引出しを開けるとノートやペンの間から小さな蛇が何匹も這いだした。這いだして私の腕から首をのぼり耳の中に入ってくる。痛くはないのだが、外耳道に入り込んだ途端に蛇たちは液体に変わってそのまま奥に流れ込む。冷たい。
まだ入り込んでいない蛇を阻止しようとして首を強く左右に振った。振ると、耳の奥で水に変わった蛇が粘稠性を増しながら内示に向かう。ねばねばとした水が三半規管のあたりを満たす。
蛇を踏む
本書から引用しましたが、文章でありながらなまめかしく不気味に想像させる力を感じます。その想像力を助ける確かな文章力が、さらに世界観全体を不穏に作り上げているような気がするのです。
特にニシ子が蛇に憑かれているのを知ってから、彼女の様子がおかしくなってくる様子が怖いです。
主人公のヒワ子は不器用な性格で、付き合い下手なのがうかがえます。前職は教師として生徒に余計な気をまわして自ら消耗して退職したこと、住職の話を聞いてるとそばを食べるタイミングを失うところ、コーヒーはニシ子さんじゃないと淹れてはいけないと思い込むところ。このどうしようもなく世渡りが下手なところが、蛇につけいれられてるようにも見えてしまいます。とても隙だらけに思えてしまうんですね。
一方で女に化けた蛇が家に住み着いてる事実をすんなり受け入れてるのが不思議。不器用な生き様とは対照的な肝っ玉を見せられているようですが、カフカの「変身」のような実存主義的な文学スタイルとも捉えられそうです。
そして蛇の世界とはなにか。個人的には安楽の世界のようなイメージを抱いています。
不器用で周囲との付き合いが難しいヒワ子、親とも疎遠とは言わぬまでも仲が良いわけでもない。対人関係における適切な距離感をつかめないヒワ子にとって、彼女が蛇に感じた「壁を感じない親密さ」はまさに願ってもないものなのかもしれません。

蛇を踏む|川上 弘美
文春文庫