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【ハンチバック】重度障害者が純文学を通して訴えた倫理と読書バリアフリー

少しボリュームが軽めの小説を読みたいなと思っていたころ、芥川賞を受賞して話題になっていた本書を手に取りました。単行本でもかならライトなボリュームで、サクッと読み切れそうと思っていました。

しかし読んでみて衝撃。社会へ投げかける問いや、障害者ならではの視点による鋭い意見など、この短い物語には重苦しいテーマがたっぷりつめこまれていました。

市川沙央

本作「ハンチバック」で第128回文學界新人賞を受賞し小説家デビュー。同作で第169回芥川賞受賞。2024年、神奈川県大和市の市民栄誉賞を授与された。

あらすじ

筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側彎症。井沢釈華の病気で、彼女にとってはグループホームの十畳ほどの居室と、キッチン、トイレ、バスルームが現実的世界のすべてでした。

ヘルパーやケアマネなど限られた人しか関りもなく、彼女の世界はかなり限定的なものである。

そんな世界を押し広げてくれるのがインターネットでした。TwitterなどのSNSを駆使して、グループホームの一室にいながらも世界とつながっている感覚です。

井沢釈華にはグループホームを含め数棟のマンションの家賃収入があり、数億単位の現金資産も相続しており金には困りません。

ホームの雰囲気はそれなりに良く、ヘルパーやほかの利用者との交流も最低限ありました。ただ病気のことを除いては不自由のない生活といえるでしょう。

ある日、井沢がVRゴーグルを共有スペースに備品として寄付する話をLINEに投稿。身体が不自由な我々だから、せめて景色だけでもどこにでもいけるのはいいねという話があがっていたので、それに対する気遣いでした。

ヘルパーの田中は井沢に対して「弱者が無理しなくてもいいんじゃないですか。金持ってるからって」と皮肉を込めて返事。田中は自らのコンプレックスをこじらせているような、いわゆる弱者男性であることを自認していました。それはコミュニケーション能力か、経済的にか、男としてのジェンダー的にかは分からないが。低身長であること、根暗な性格であること、介護という一般的に低賃金労働に従事していることなど、いくらでも該当します。

そんな攻撃的なやり取りがあった直後、マネージャーから連絡。井沢釈華の入浴介助の日に女性ヘルパーがPCR陽性だったため、田中が担当することになりました。

入浴介助を終えると田中が唐突に井沢のTwitterアカウントのつぶやきについて言及しました。それは井沢釈華がTwitterで呟いた「妊娠して中絶したい」という彼女の歪んだ願望への蔑みでした。

井沢は「田中さんにもどうしても欲しいものやしたいことくらいあるでしょう」と答えると「井沢さんが持っているくらいの財産が欲しい」と返答。

田中ヘルパーにTwitterアカウントがばれ、井沢釈華の性癖や歪んだ願望を含めた人間性を侮辱されたこと。弱者男性であるコンプレックスの八つ当たりのはけ口にされたのも受け入れながら、後日彼女は田中にある取引を持ち掛けます。

「いくら欲しいのですか」と尋ねると田中は「1億」と場当たり的な金額をふっかけてくるが、それくらい井沢釈華にとってはかわいい金額でした。

そして田中の健常な身体に価値をつけて1センチ100万円分の1億5500万円で取引を打診。田中は承諾し井沢は小切手にサインをします。そして最終的にとった二人の行動と決断とは――。

書評

触れにくい話題である障害者の性やSEXを正面から扱ってるのが衝撃でした。しかも軽い下ネタ程度ではなく、命の重み、性の在りようなどかなりセンシティブな内容です。

私自身、障害者のグループホームで5年ほど働いていたことがありました。そして、そこで生活する利用者たちの性事情というのも様々あったものです。そういった点において、未だに納得のいく向き合い方というのは分かりません。

そして障害者である当事者視点から世間への怒りや心情吐露が印象的でした。主人公の持つ身体的な歪み、ないしは歪んだ願望が社会と相入れないことを強く非難されています。

読んでいて自分を健常者として前提に立っていると、まるで責められているようで辛くなります。それだけ迫真の主張が込められているのでしょう。

また、Netflixやpairs、ヤフコメ、スパダリ、ナーロッパなど、アプリケーションや現代的スラングがよく出てくるのも特徴的でした。コロナなど現実の世情も絡めています。

特にTwitterが重要な設定で、井沢はSNSで発言して炎上しそうなものはとりあえずEvernoteに吐き出して主張を寝かせています。反射的に思ったことを何でも発言していると、思わぬところで炎上しかねないですからね。

中絶がしてみたい、私の曲がった身体の中で胎児は上手く育たないだろう。

井沢釈華

この発言がターニングポイントになっていました。

歪んだ願望や死生観を持っているため、そこだけ切り取るとやばい人に見えますが、思っていることと現実を釈華は丁寧に棲み分けています。

田中にいくら嫌味を言われても冷静に大人な対応で返していますし、基本的には常識人で、できる限りで社会に貢献しようともしていました。

それだけに彼女の堕胎願望とういものを理解するのが難しいところ。

ただ「気持ち悪い」と一蹴して井沢釈華を、ひいてはこの本を否定してしまうと、それこそが障害者との相容れない様相を読者の中に生み出してしまいかねません。

井沢釈華の願望や社会に対する怒りをすくいあげて、丁寧に読んでいくとこの本の見方も変わりそうです。

ハンチバックとは

タイトルの『ハンチバック』とは『せむし』のことで、背骨が曲がっている状態を表す差別用語です。少し古い小説などを読んでいると度々見かけることもありましたが、最近では聞きなれないですね。

ここから主人公、井沢釈華の歪んだ願望や人物像としての歪みを表現しています。

生むことはできずとも、生殖機能はあるのだから堕ろすところまでは健常な人たちのまねごとのように、その背中に追い付くことができるだろう。

井沢釈華

歪みを抱えながらも、そのまっすぐな背中を渇望してるのが伺えます。

健常者優位主義(マチズモ)

世間ではこの本の「読書のマチズモの指摘」についてもよく取り上げられていました。「読書」という行為そのものが健常者優位主義(マチズモ)に働いているのです。

井沢釈華にとって厚みのあるページを抑えながら読む行為は背骨に負荷をかけます。通常誰もが普通に可能な活動が負担になること、だから本作では井沢釈華が紙の本を強く憎んでいます。

紙の匂い、ページをめくる感触、残りのページ数からの緊張感など、そんなものは健常者の呑気な言い回しだと主張されていました。電子書籍が一般的な現代でも高度な専門書やマイナーな本などはまだまだ電子化されていませんからね。

作者もインタビューで読書文化のマチズモを指摘して、読書にとどまらず社会のいたるところで障害者がいないことになって設計されていると話されていました。

ちなみに私は本は紙で読むほうが好きです。そして自分自身これまで社会生活上で不都合を感じない限り、それ以上想像力を働かせようとは思っていませんでした。そりゃそうです、普通に本を読むことが普通ですから。

しかし事情を知ったならば、そこに想像力を広げて世の中を見る視座を高めるために、こういった指摘を受け入れることは大切です。

最後のパート

「ゴグよ、終わりの日にわたしはあなたを、わが国に攻めきたらせ、あなたをとおして、わたしの聖なることを諸国民の目の前にあらわして、彼らにわたしを知らせる。」

本書の最期、語り手が替わって、早稲田大学政治経済学部の紗花という源氏名で風俗嬢をしている女の子が登場。さらに謎の聖書からの引用文。

設定が一部冒頭のコタツ記事から一致するので、井沢釈華による創作だと推察されます。

このパートは意図が分かりにくく、文学賞を受賞する選評の際に議論となったようですね。私もよく分からず、その部分なくても良かったのではと思っていました。

聖書の解釈が必要な部分なので、このあたりをどう読んでいくか、より考えさせられるところですね。


市川沙央⇄荒井裕樹 往復書簡「世界にとっての異物になってやりたい」|文學界note

もともとライトノベルを書いていたこともあり、本書も意図の解釈を抜きにすれば文章自体とても読みやすいです。

作者が本作を通して宗教や過去の事件を絡めた文学性、障害者、ジェンダー、命をとりあげた倫理観など。幾層にも考え積み重ねられた思考の断片を見せられた気がします。

ぜひ、こちらのnote記事による書簡も読んでいただきたいです。

ハンチバック

¥1,200

ハンチバック
市川沙央

第169回芥川賞受賞。選考会沸騰の大問題作!

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【彼女は頭が悪いから】東京大学誕生日研究会の事件をもとにした小説

2016年に実際に起きた東京大学の学生らによる集団強制わいせつ事件に着想を得て執筆されました。ただし、登場人物や物語の詳細はすべてフィクションであり、事件のノベライズではありません。

事件を通じて浮き彫りになる社会の格差、ジェンダーの不平等、そして人々の偏見や差別意識を描き出しています。特に、加害者と被害者の生い立ちや心理的背景、事件後の被害者へのバッシングなどが克明に描かれています。

タイトルの「彼女は頭が悪いから」という言葉は、実際の事件の公判で加害者の一人が発した言葉に由来しており、被害者を見下す態度を象徴しています

姫野カオルコ

1990年「ひと呼んでミツコ」を講談社に持ち込み32歳でデビュー。2014年「昭和の犬」で第150回直木賞を受賞。本作「彼女は頭が悪いから」は第32回柴田錬三郎賞を受賞。

あらすじ

物語の中心となるのは、以下二人の登場人物。

  • 神立美咲 横浜市郊外の普通の家庭で育ち、偏差値48程度の女子大学に通う女子大生。
  • 竹内つばさ 渋谷区広尾の官僚家庭に生まれ、東京大学理科I類に進学した男子学生。

美咲は地元の進学校を卒業後、家族に祝福されながら女子大学に進学します。一方、つばさはエリート家庭で育ち、東大に進学するも、周囲の富裕層や優秀な同級生に劣等感を抱くことがあります。

二人は大学生になってから偶然出会い、最初は恋愛のような関係が始まるかに見えます。しかし、つばさを含む東大生5人が引き起こした強制わいせつ事件により、二人の関係は加害者と被害者という最悪の形で交わることに。

事件後、被害者である美咲は「勘違い女」として世間から非難され、加害者たちの未来を潰したとまで言われます。このような状況を通じて、学歴や社会的地位がもたらす偏見や、被害者バッシングの問題が浮き彫りにされます。

彼らはぴかぴかのハートの持ち主なので、裸の女がまるまって、ううううと涙を垂らしている状態は、想定外であり、優秀な頭脳がおかしてはいけないミス解答だった。

結論 彼らがしたかったことは、偏差値の低い大学に通う生き物を、大嗤いすることだった。彼らにあったのは、ただ「東大ではない人間を馬鹿にしたい欲」だけだった。

第四章 463p

書評

結構長い本なのですが、中盤に差し掛かってようやく二人の主人公が話の中で交差します。つまり本書の前半~中盤にかけてじっくりと、人物の育ってきた背景や性格について描いているわけです。そうして人物の思想的な輪郭を丁寧に追っていくことで、どうしてこのような歪んだ事件が生まれてしまったのかを表現できていると思います。

姫野カオルコは、この小説を通じて、事件の背景にある社会的な構造や人々の無意識の差別意識を掘り下げようとしました。特に、加害者たちが持つ「自分たちは優れている」というエリート意識や、被害者が受けた不当な扱いに焦点を当てています。また、事件の詳細を忠実に再現するのではなく、フィクションという形で普遍的な問題を描くことを意図しています。

実際の事件はWikipedia等でも簡単に調べられますが、事件の概要だけを追ってもどうしてこのような結果が生まれたのか想像し難いのですね。それが小説となって人物の思想や心情の機微などが表現されることによって、よりリアルに感じられるようになります。

だんだんと読むのが辛くなってくる本ですが、自らの謙虚さを保ち、他者への尊敬を忘れないために、一読して良かったと思います。

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【時をかけるゆとり】天才文士による自虐と青春に満ち溢れた初エッセイ集

朝井リョウの初エッセイ集。筒井康隆の「時をかける少女」のパロディタイトルで、著者本人の笑いに満ちたエピソードエッセイとなっています。

同シリーズで続巻「風と共にゆとりぬ」「そして誰もゆとらなくなった」とゆとり三部作があります。

朝井リョウ

小説家、ラジオパーソナリティ。早稲田大学文化構想学部卒業、2009年同大学在学中に「桐島、部活やめるってよ」で第22回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2012年には同作が映画化された。2013年「何者」で第148回直木三十五賞受賞。直木賞史上初の平成生まれの受賞者であり、最年少の男性受賞者となった。

あらすじ

浅井リョウさんの二十歳前後のできごとを綴ったエッセイ集。年代的にゆとり世代にあたる著者の赤裸々な話です。

構成は主に学生時代のエッセイが20篇。元は「学生時代にやらなくてもいい20のこと」の単行本があり、これに社会人となってからのエッセイを3篇追加し、改題して「時をかけるゆとり」となっています。

カットモデルになる

本書から『モデル(ケース)を体験する』を抜粋して紹介します。

大学1年生の上京したてのお上りさんだった著者は、カットモデルを探しているという友人の言葉に飛びつきました。

閉店後の美容院で試験を前日に控えた美容師にカットしてもらうことに。切られている本人の感覚では、もはやプロの美容師と遜色なく技術の違いもわかりません。腕も良いと思うし、会話もスムーズにつながっています。

しかし美容師の上司がチェックしていること、ストップウォッチで時間を図る人や、なにやらメモを取る人など、現場の空気はピリピリしていました。

そんなわけだから、その美容師との会話からも何かしら評価に影響を与えるのではと思い、著者は気を遣ってオーバーリアクションしながら会話を続けることに。

カットが終わってチェックするとき。

上司の一言「バランス考えた?この子顔のフォルム長めでしょう」 さらに「後頭部に欠損あるじゃんか」と追い打ち。

上司が美容師に指摘するたびに、面長や部分ハゲなど、モデルとなっている自分のネガティブポイントがどんどん掘り起こされていきます。

無料カットや東京クオリティの技術を受けられるおいしい話だと飛びつくのは甘かった。プロ試験を控えた美容師のカットモデルをするということは相応の覚悟も必要なのです。

ちなみに、カットモデル募集とうたっておきながら、後になってカラーなどの材料費を請求される場合などもあるので、無料という言葉だけにのせられないように注意しましょう。

書評

朝井リョウさんの本はいくつか読んだことありましたが、このエッセイを読むと作者の印象が大きく変わりました。

若くして大きな文学賞を受賞した経歴や、作風からも、なんとなくクールでニヒルな印象を抱いていました。実はとてもユーモアあふれる楽しいかたなんですね。

20歳前後のちょっと無茶をしたくなる大学生時の話が多かったからか、失敗談や無謀なエピソードが豊富で、読んでいて展開に飽きかったです。編集者からも狂っていると述べられたのだとか。

友達が多く青春を謳歌してきたようにも思われました。学生時代の思い出を大切にされているんだなと感じます。

そして朝井リョウさんならではの特徴ですが、よく観察あるいは記録された文章が綴られています。普通に過ごしていたら見過ごしてしまうような日常の発見や面白さをしっかりとすくいだして、面白おかしく文章として成立させる筆力がプロ作家そのものです。

さらに作家は書くだけではありません。多くの人生経験が作品に奥行きをもたらすのでしょうが、彼にもとにかく経験をしようという貪欲さが表れているようでした。

このエッセイを簡単に言い表すなら、友達が面白かった話を語ってくれるような、そんなフランクな雰囲気の読みやすいエッセイです。

ちなみに、書店でこのようにブックカバーで目隠しされているものを買いました。買ってみるまで中身がどんな本なのか分からないのですが、それが朝井リョウさんのエッセイだったんですね。

なぜゆとりか

ゆとり世代は1987年〜2004年生まれといわれています。私も該当しますね。そして朝井リョウさんが1989年生まれの34歳。

そんなゆとり世代を光原百合さんは解説で「かなり素敵な世代」と評していました。

ゆとりとはネガティブなニュアンスで使われがちですが、朝井リョウさんのような才能やユーモアに富んだ人がいるのだから、素敵な世代だろうと。

そもそもの話、さまざまな経験を通して人間性を豊かにするゆとりを取り入れる、というのがゆとり教育の発端です。

朝井リョウさんの豊かな経験や人との関わりの中かから、多くの人気小説や面白いエッセイが排出されているのだから、ゆとり教育も十分に意義あるものだったといえるでしょう。

時をかけるゆとり

¥726

時をかけるゆとり
朝井リョウ

本を読んで笑いたくなったらこのエッセイ!