
朝井リョウの初エッセイ集。筒井康隆の「時をかける少女」のパロディタイトルで、著者本人の笑いに満ちたエピソードエッセイとなっています。
同シリーズで続巻「風と共にゆとりぬ」「そして誰もゆとらなくなった」とゆとり三部作があります。
あらすじ
浅井リョウさんの二十歳前後のできごとを綴ったエッセイ集。年代的にゆとり世代にあたる著者の赤裸々な話です。
構成は主に学生時代のエッセイが20篇。元は「学生時代にやらなくてもいい20のこと」の単行本があり、これに社会人となってからのエッセイを3篇追加し、改題して「時をかけるゆとり」となっています。
カットモデルになる
本書から『モデル(ケース)を体験する』を抜粋して紹介します。
大学1年生の上京したてのお上りさんだった著者は、カットモデルを探しているという友人の言葉に飛びつきました。
閉店後の美容院で試験を前日に控えた美容師にカットしてもらうことに。切られている本人の感覚では、もはやプロの美容師と遜色なく技術の違いもわかりません。腕も良いと思うし、会話もスムーズにつながっています。
しかし美容師の上司がチェックしていること、ストップウォッチで時間を図る人や、なにやらメモを取る人など、現場の空気はピリピリしていました。
そんなわけだから、その美容師との会話からも何かしら評価に影響を与えるのではと思い、著者は気を遣ってオーバーリアクションしながら会話を続けることに。
カットが終わってチェックするとき。
上司の一言「バランス考えた?この子顔のフォルム長めでしょう」 さらに「後頭部に欠損あるじゃんか」と追い打ち。
上司が美容師に指摘するたびに、面長や部分ハゲなど、モデルとなっている自分のネガティブポイントがどんどん掘り起こされていきます。
無料カットや東京クオリティの技術を受けられるおいしい話だと飛びつくのは甘かった。プロ試験を控えた美容師のカットモデルをするということは相応の覚悟も必要なのです。
ちなみに、カットモデル募集とうたっておきながら、後になってカラーなどの材料費を請求される場合などもあるので、無料という言葉だけにのせられないように注意しましょう。
書評
朝井リョウさんの本はいくつか読んだことありましたが、このエッセイを読むと作者の印象が大きく変わりました。
若くして大きな文学賞を受賞した経歴や、作風からも、なんとなくクールでニヒルな印象を抱いていました。実はとてもユーモアあふれる楽しいかたなんですね。
20歳前後のちょっと無茶をしたくなる大学生時の話が多かったからか、失敗談や無謀なエピソードが豊富で、読んでいて展開に飽きかったです。編集者からも狂っていると述べられたのだとか。
友達が多く青春を謳歌してきたようにも思われました。学生時代の思い出を大切にされているんだなと感じます。
そして朝井リョウさんならではの特徴ですが、よく観察あるいは記録された文章が綴られています。普通に過ごしていたら見過ごしてしまうような日常の発見や面白さをしっかりとすくいだして、面白おかしく文章として成立させる筆力がプロ作家そのものです。
さらに作家は書くだけではありません。多くの人生経験が作品に奥行きをもたらすのでしょうが、彼にもとにかく経験をしようという貪欲さが表れているようでした。
このエッセイを簡単に言い表すなら、友達が面白かった話を語ってくれるような、そんなフランクな雰囲気の読みやすいエッセイです。

ちなみに、書店でこのようにブックカバーで目隠しされているものを買いました。買ってみるまで中身がどんな本なのか分からないのですが、それが朝井リョウさんのエッセイだったんですね。
なぜゆとりか
ゆとり世代は1987年〜2004年生まれといわれています。私も該当しますね。そして朝井リョウさんが1989年生まれの34歳。
そんなゆとり世代を光原百合さんは解説で「かなり素敵な世代」と評していました。
ゆとりとはネガティブなニュアンスで使われがちですが、朝井リョウさんのような才能やユーモアに富んだ人がいるのだから、素敵な世代だろうと。
そもそもの話、さまざまな経験を通して人間性を豊かにするゆとりを取り入れる、というのがゆとり教育の発端です。
朝井リョウさんの豊かな経験や人との関わりの中かから、多くの人気小説や面白いエッセイが排出されているのだから、ゆとり教育も十分に意義あるものだったといえるでしょう。