
この本は私が元図書館司書の知人からすすめられた本で、やはり司書さんがすすめるだけあって非常に読んでよかった読書体験でした。
戦争の悲しみ、沖縄の苦難、人の過去。世の中には普段見えていなくとも、とてつもなく大きな悲しみの渦が地下深くで息をひそめているような、ふとした時に触れる人の脆さに気が付けるようになります。
人間いうたら自分ひとりのことしか考えてへんときは不幸なもんや
太陽の子
あらすじ
小学6年生の女の子ふうちゃんを中心に、彼女の父親がうつ病になったことから様々な人の優しさや悲しみに触れていきます。
ふうちゃんは神戸の沖縄料理店「てだのふぁ」の一人娘として、たくさんの常連客たちに愛されていました。学校では担任の先生が父親の心の病を心配して、沖縄の草花遊びの本を贈ってくれました。
お父さんの病気には沖縄のことが関係しているのではないかと確信すると、沖縄戦争当時の写真や資料を友人に見せてもらいます。その惨状は見るに耐えられず、吐き出してしまうほどのショックでした。
しかし周囲の人から沖縄に関する部分に触れると、どうしても相手の辛い部分に触れてしまうことに気づきます。沖縄を知って相手を知りたいのに、そのせいで相手を苦しめてしまうことに悩みました。なぜこんなにも沖縄と悲しみが結びついているのか。
ある日、お父さんが一人で外出していったことがありました。そこは明石市の海岸で、父が少年時代に経験した戦火の沖縄本島南部の海岸に似ている場所でした。なぜお父さんの心の中だけ戦争が続いているのだろう。
補足情報
時代背景は沖縄戦争から30年後の1975年頃とみられます。
冒頭の丘の上では初秋、最終盤の丘の上ではその翌年の春を示しており、舞台のモデルは川崎造船所の正門に至るまでの界隈ですが、おきなわ亭「てだのふぁ」のモデルはなさそう。
猫(まやー)ユンタ
歌の中に猫の鳴き声のおはやしが入る沖縄民謡のひとつ。ふうちゃんのおとうさんの故郷、八重山の歌です。
意味は先島諸島にだけ課せられた人頭税に対するうらみつらみを猫に例えている。
安里屋(あさどや)ユンタ
ふうちゃんの退院後におとうさんと港に散歩に行った時、少し調子の良いおとうさんの様子が嬉しくて歌った八重山歌謡のひとつ。安里屋は八重山地方にある竹富島の地名で、祭祀歌や労働歌として歌われています。
竹富島に実在した絶世の美女・安里屋クヤマと、王府より八重山に派遣され、クヤマに一目惚れした目差主(みざししゅ、下級役人)のやり取り。八重山では、1637年から琉球王国が苛酷な人頭税の取り立てを行っており、庶民が役人に逆らうことは尋常では考えられませんでした。そんな中で求婚を撥ね付けるクヤマの気丈さは八重山の庶民の間で反骨精神の象徴として語り継がれています。
白い曼殊沙華(彼岸花)
正式にはシロバナマンジュシャゲと呼び、一般的な赤い彼岸花の一種。原種の赤い彼岸花と黄色の鍾馗水仙(ショウキズイセン)を交配したものが、白い彼岸花となります。赤とは対象的に繁殖力が弱いので非常に珍しい。
赤い彼岸花は死を連想するイメージがついてますが、白い彼岸花は本作では幸運の象徴としてふうちゃんに喜ばれました。物語の最終盤におかあさんが「おとうさんの中に死んだ人がたくさん生きている、だからおとうさんは地球に住んでいる人の中で一番やさしい」と言う場面。神戸の丘の上の赤い彼岸花の群生の中に、たった一輪咲いた白い彼岸花は、暗におとうさんのことを示しているように思われます。
書評
この本を読んでいて非常に感動はしたのは2つの場面。
一つは、ふうちゃんの友達が担任の先生に宛てた手紙の内容です。小学生とは思えないほどの真剣さで、正直で、力強い筆致の手紙。中身は子供らしく真っ直ぐな想いが書かれていますが、その気持が綺麗に整理されており、きちんと自分の考えを表現しています。それが結果的に担任の先生を突き動かし、ふうちゃんをひどく感心させる出来事となっていました。
二つ目は沖縄の少年の手術が済み、連日病室で警察の事情聴取がされているとき。その日はふうちゃんと叔父さんが同室しており、沖縄の少年を問い詰めようとする警察に叔父さんが割って入ります。「法の前に沖縄もくそもない。みんな平等だ!」と息巻いた警察を前に、冷静に淡々と平等の本質を説く叔父さん。その人間味ある諭しかたに、何度読んでも涙が出てきます。不平等な過去の現実を語るろくさんを前に、真剣な眼差しで一言一句もらさずに受け止めようとするふうちゃんの姿勢にも心を打たれました。
この物語はそれぞれの人の悲しみに焦点を当てることで、今生きている現実の認識を広げてくれる力があります。
ふうちゃんは、自分の生がどれほどの多くの人の悲しみの果てにあるのかという現実に気が付きました。おかあさんは「おとうさんが病気になったのは、おとうさんの中に死んだ人がたくさん生きているからだよ」と語り、生者中心的な観点に対峙した主張をしています。
俯瞰して現在の私たちにあてはめてみれば、戦後の繁栄を果たした日本がこのような過酷な運命に虐げられた上に実現してるのだと認識しておかねばならないのです。過ぎ去った歴史は私たちに無関係のように思えるけど、実のところ細く長い同じ線上にあって、その線の先頭にいるのだということを教えてもらったようです。
あたりまえのようになってしまっている沖縄の現実に、改めて目を向けてみると実は知らないことばかりだったり。沖縄に限らず、私たちの周りには知っておくべきだけど、意識にものぼらずなにも知らないことがあふれているのかもしれません。
そして知ろうとしたならば、そこに足を踏み入れるのが憚られるような現実を目の当たりにするかもしれない。
ふうちゃんが健気で純粋だからこそ、彼女が次第に知っていく沖縄の暗い部分が顕著に浮き彫りになっていきます。そして真剣に沖縄と、人の悲しみと向き合おうとしてるから、周りの大人たちもふうちゃんを真実に導こうとしました。
ふうちゃんと一緒に真剣に生きて、知るべきことと向き合う勇気をもらうような、そんな気持ちにさせられました。