ツチノコ撮影日誌

令和の「幻のヘンビ」伝説

ドキュメンタリー映画監督 今井友樹

はる書房 2024年6月27日

映画:おらが村のツチノコ騒動記

ツチノコの歴史は古く、縄文時代から生息したといわれている。

岐阜県高山市の飛弾民族考古館には6000年前のツチノコ形の縄文石器がある。江戸時代中期の図説「和漢三才図会」には野槌蛇として絵入りで紹介されている。

東白川村ではツチヘンビと呼び、隣の中津川市付知町ではヘンビの大将、白川町黒川ではころがりヘンビなどと全国的にもさまざまな呼び名がある。

ツチノコの名前を広めたのは山本素石。

平たい頭部に首のくびれ、太い胴、黒やこげ茶の大きなウロコ、細くて短い尻尾、大きく鋭い目。毒はあるとかないとか諸説あり。

ツチノコの話やら文化的・民俗学的な話というのは簡単に触れている程度。ツチノコの目撃情報や生息地での民家のインタビューなどもちらほら。

本の骨子になっているのは著者である今井監督の自伝、どうしてツチノコを題材にした映画を撮るのか、それらの背景をベースに自分がどのようにしてドキュメンタリー映画監督への道を歩んできたか、そしてどんな作品を撮ってきたかの話。

ツチノコ映画のための取材と今井監督の記憶をたどる自伝が交互に構成された入る。

結局のところツチノコの実在が確認されているわけでもなく、どれもこれも決定打に欠ける話だから仕方ないのかもしれない。

取材の進行が時系列に沿って、着実にツチノコと東白川村の歴史にせまっていく。

大事なのはツチノコを見た人、大事な人から目撃談を聞いた人、そして信じている人の中には、しっかりとツチノコの存在が根付いているということ。

著者は東白川村出身。ツチノコを地域振興の一つにしており、30年以上にわたって毎年ツチノコ捜索イベント「つちのこフェスタ」を開催している。

これを実在しない架空の生物を追うくだらない催しととるか、ツチノコにロマンを求めて楽しむ恒例行事ととるか。

参加者の多くは名古屋から来てるというのもあり、普段自然に触れない人たちの息抜きやリフレッシュのようなもの。

多い開催年で村民2000人のところに4000人の参加者が集ったとか。

岐阜県以外、全国各地でツチノコの伝承があって捜索イベントとか催しが行われてきたけど、結局存在しない確認できないものに下火になっていく。

東白川村がすごいろことは村を上げて、それが数十年続いているということ。

伝説となる物語には終わりがあってめでたしとなるが、ツチノコの物語には終わりがなくそれが魅力になっている。

檜とお茶が名産品。

最初のツチノコブームは故山本素石の「逃げろツチノコ」から。週刊少年マガジンにて「幻の怪蛇バチヘビ」の連載をした矢口高雄の功績もあって、子供を巻き込んでブームを席巻した。そしてドラえもんや水木しげるの漫画にも登場した。

昔の人は想像力が豊饒で自然のひとつひとつから物語を織りなしていき、鼠を飲み込んだ蛇をツチノコと読んだりと否定できないだろう。

ツチノコに似ている生物。

ヤマナメクジ、アオジタトカゲ

【捜索Map】

2016年8月

東白川村と近郊地域の新聞の折り込みチラシにツチノコ目撃情報の提供を呼び掛ける。

8月

東白川村元村長 桂川眞郷インタビュー。立村100周年と竹下登政権時の1億円ふるさと創生事業などもあって、ツチノコ捜索イベントが村おこしとしてすんなり議会を通る。

2017年4月

トヨタ財団助成が決定。

6月5日

岐阜県中津川市付知町にて、女性3人のインタビュー。谷間の集落でツチノコが斜面をコロコロ転がっている目撃談。茶畑でツチノコを見たという話。

7月14日

東白川村のお茶の生産者 安江辰也インタビュー。ツチノコの背景として欠かせない東白川村の戦後史の取材がメインで、昭和20年代に村の主幹産業を養蚕からお茶栽培に変えていく普及員としての活動をうかがった。

9月13日

本村役場職員 安江誠インタビュー。産業振興課で最初からツチノコ捜索イベントを担当しており、以来長期間関わる。

9月14日

ツチノコ目撃者を含む座談会を企画。隣の白川町で。比較的新しい目撃情報で2016年のこと、茶畑で働いていたところ、3人が同時に茶畑の通路でツチノコを目撃した。ツチノコの存在を信じて取材をスタートしたわけではないが、かといって「いない」とも言い切れない、どっちつかずのニュートラルな格好をしていたが、取材をするスタンスとして確実にツチノコの存在感が大きくなっていく。

8月28日

北海道にて民俗学者 伊藤龍平 インタビュー。ツチノコについて民俗学的に発言している数少ない学者の一人。著書「ツチノコの民俗学ー妖怪から未確認動物へ」

9月15日

「槌の子探そう会」メンバーへのインタビュー。

12月4日~6日

村の子供たちに意識調査として中学生に対してアンケート。「いると思う」という子もいる反面「いるはずない」と答える子もいる。

2018年4月18日~20日

奈良県下北山村で野崎和夫とツチノコ探検懐古展の事前取材。30年前にツチノコイベントを開催した中心人物。

5月3日

東白川村つちのこフェスタ30回目は前日の大雨で中止。つちのこ神社で祭礼が例年通り行われる。

5月7日

奈良県下北山村にてツチノコ探検30年記念シンポジウムを取材。

6月1日

改めて下北山村で野崎和生インタビュー。イベントのプロデューサ的な立場として、関西圏から人を呼び込むツチノコ共和国などの遊び心溢れる工夫をしてきた。

8月18日~19日

伊藤龍平を北海道から誘致して「ツチノコのいま、むかし」講演会を東白川村で行う。

9月12日

東白川村現村長 今井俊郎インタビュー。ツチノコを起爆剤とした村おこしについては、村で育った人はツチノコはいるものだと前提にしていて、それがなくなったのは環境の変化だと感慨を抱く。上の世代はツチノコはいるものだとしている。

9月13日

ツチノコ捜索イベント開催の平成元年時の目撃者は多くがなくなっているが、数少ない目撃者の安江けい子。茶畑でツチノコを見て、長さ、太さ、色、動作など克明な観察を記憶していた。

2019年1月22日

ツチノコブーム発祥の故山本素石の作ったノータリンクラブの創立メンバー最後の生き残りである新田雅一の住む神戸市でインタビュー。民俗学者の伊藤龍平も同行した。クラブは存在しているが実質的な活動はしていない。

2019年4月15日

広島県上下町の松井義武、平野巌インタビュー。東白川村や下北山などと同時期に町おこしを試みた地域。食糧事務所のお堅い仕事に就く所長の目撃談から始まり、うそをつく人でもないので捜索イベントが開催された。しかし2年で終わる。表向きは危険だといわれる生き物を探すイベントに対する苦情だが、実際のところは存在しないものを探すという意味のないイベントに必要性がないというのだろう。

「ロマンが続かなかった、消えた」

それが東白川村ではまだロマンが続いているという違いがあるだけだ。

4月16日

鈴鹿真一、藤本誠一、青山敏夫インタビュー。岡山県赤磐市にて。彼ら「つちのこ研究会」が窓口となり、ツチノコ関連イベントが行われていた。発見時の懸賞金2000万円は町が提供する。発端は平成12年にツチノコらしき死骸が発見されたが、鑑定に出すがヤマカガシの変種だった。この話題性、岡山の大蛇伝説などの蛇との因縁もあり、捜索イベントなど同時期に行われてツチノコの里となった。

イベントはなくなったが、懸賞金はキャリーオーバーしている。

4月17日

兵庫県美方郡香美町で宮脇壽一にインタビュー。ツチノコ目撃例が多く、「つちのこ探検隊」を企画し捜索を行ったりした。懸賞金ではなく土地100坪が進呈される。今も存続しているが活動は緩やかで、親睦や交流コミュニティのものだ。

4月19日

兵庫県宍粟史にて平瀬景一に取材。町役場の職員をしていた。1992年当時に2億円の懸賞金をぶち上げて話題になったが、行政の「どうせいない」という驕りからくる話題性の為のエスカレートに嫌気がさし、ツチノコハンターたちのカンに障った。2億の財源をどうするのか聞くと、そのツチノコを売ればいいという拝金主義的なやり取りに、ノータリンクラブの人たちも微妙な印象を持っていた。

5月3日

30回目の東白川村「つちのこフェスタ」が開催される。過去最多の4000人の参加者。単にツチノコを探すだけでなく、ツチノコの模型を見つけたら景品がもらえたり、時期的に山菜が豊富なのでそれを楽しみに来る人もいる。

7月16日

山本素石のツチノコ遭遇場所である京都市北区雲ケ畑加茂川支流へ取材。

7月17日

京都国際日本文化研究センターにて「故郷の喪失と再生」の著者、安井眞奈美インタビュー。ふるさと創生事業の背景と評価、東白川村のツチノコを活用した取り組みについて意見をきく。

11月23日

京都市雲ケ畑の林業に従事する安井昭夫インタビュー。山本素石がツチノコを目撃した土地で他の様々な不可思議現象について調べた。妖怪譚、へびの階段、地元の古老たちから聞き取ったものなど。

11月30日

新潟県糸魚川市、糸魚川つちのこ探検隊インタビュー。2005年発足から毎年捜索を行っている民間の有志で運営され、精力的かつ地道な活動は山本素石のいう本来のツチノコ探検隊を体現している。

体調の丸山隆志、事務局の清水文男、旅館経営の斎藤武司に取材。全員スタートからのメンバー。発足翌年に探検隊の公募が始まり、地元の企業6社から懸賞金1億の資金をつくり、回を重ねるごとにグッズやテーマソングなどを制作していった。

2020年5月30日

コロナ渦で取材が進まない。息子と父親との釣り風景を撮影して映画のシーンとして使う。

以降、村内の様子や自然の撮影などが続く。

2021年6月9日

群馬県太田市、日本蛇族学術研究所(ジャパン・スネークセンター)取材。日本各地でツチノコ発見となれば、まずここで鑑定されるのが普通。

ツチノコ=ヤマカガシ説が有力だという話に意見を求める。

9月8日

東京都町田市、動物学者でUMAの生みの親である實吉達郎インタビュー。ツチノコのようないそうでいない動物は1970年代まではリアリティを保っていたが、1980年代に入るとUMAという言葉ができツチノコもそれに分類され、このことが心性に影響した。

9月9日

スネークセンター研究員 高木優インタビュー。ヤマカガシ=ツチノコに否定的で、マムシのほうがツチノコに近いと提言。

10月18日

東京都中野区、著述業の山口直樹「幻のツチノコを捕獲せよ‼」にインタビュー。ツチノコブームが起きた現象と、それが鎮まる過程について分析する。

10月26日~28日

東白川村にて神土地区親田取材。古くからツチノコのうわさ、言い伝えがあるとされる。

12月10日

兵庫県淡路市、淡路ファームパークイングランドの丘にて、アオジタトカゲの取材。一般に出回るツチノコの画像は、手足の隠れたアオジタトカゲそのものといっていいくらい酷似している。元来オーストラリアに棲息するトカゲで、大きいと70㎝程になる。胴体が太く頭が小さい、足は短く、舌が青い。1970年ころからペット用として日本に入り、普通の家でも飼育される。

大1次ツチノコブームとも時期が合う為、ペットのアオジタトカゲが逃げ出して山林や田畑で生き延びたものが目撃されたのが最も有力。だが江戸時代の文献や明治からの目撃談には該当しないだろう。

2022年10月3日

東白川村、平成初めに開店した白川茶屋の取材。ツチノコブームの加工品などを販売しており、ツチノコに頼らず郷土料理なども商品化している。

10月~

このころから映像をチェック、編集に1年かけ、9年越しに映画が完成する。

2023年5月3日

東白川村つちのこフェスタ取材。3年のコロナで中止から再開。4000人の受け入れには無理があると、参加者を2000人に絞った。メディア取材は17社、フランス国営放送も取材で訪れていて、村の観光収入は3千万近くに。

8月14日

撮影の終わりなきたびにピリオドを打つ、今井監督自身の父へのインタビューを敢行。

2023年8月26日

東白川村、完成披露上映会。100分版。

10月1日

奈良県下北山村、完成披露上映会。前回のを再構成編集して、今後も修正を重ねる。

11月21日

70分版の完成、初号試写。

取材地10県40か所以上。取材した人数は60名以上となった。

参考にしたであろう文献や資料は膨大で、この映画を作っていく過程をみて圧倒されたような気にもなった。

【名言】

いま映画学校で「映像民俗学」を教えているのですが、民族に関する記録映画を民俗「学」と学にしていいのかどうか疑問がありますね。「学」としてしまうとその時点で型というか形式ができてしまう。民俗や習俗を記録するというのは、そうした型がないのではないかと思うんです。