2024-06-02

【狼の幸せ】富嶽三十六景になぞらえた36編、イタリアンアルプスに暮らす男女を描く

著者出版
パオロ・コニェッティ
飯田亮介(訳)
早川書房:2023/04/11

葛飾北斎の富嶽三十六景になぞらえて36章の掌編小説のごとく構成されている。
作者のPalo Cognettiは1978年ミラノ生まれ、映像制作の仕事に携わった後、作家デビュー。2016年に「帰れない山」でストレーガ賞を受賞。作者が長年構想を練っていた恋愛小説である本作がコロナ渦を機に実現した。

何かが消えて、別の何かがその後釜に座る。
世界はそんなふうに出来ているんだよ。

23章 沼 ファウストの父親

あらすじ

人生に疲れた40歳の作家ファウストは、パートナーと別れ、長年暮らしたミラノを離れてフォンターナ・フレッダにやって来る。

レストランでコックの職を得たファウストは、そこで知り合ったウェイトレスのシルヴィアと付き合う。レストランオーナーのバベットや、元森林警備隊のサントルソらとも交流を深めていく。

やがて、狼たちがイタリアンアルプスからおりてきたころ、シルヴィアから贈られた「富嶽三十六景」の画集をきっかけに、ファウストは本来の自分を取り戻していく。

人生のやり直し

ファウストは人生をやり直すためにフォンターナ・フレッダに逃れてきた。やってきたのは小さなレストラン「バベットの晩餐会」だ。

レストランでシルヴィアと出会い、二人は自然と恋人になり一緒に過ごすようになる。

ファウストはかつて出版した1冊の小説、現在執筆している原稿などを見せて、フォンターナ・フレッダの冬を二人で過ごした。

冬が明けると、ファウストとシルヴィアの行く道は二手に分かれようとしている。彼女はファウストに葛飾北斎の『富嶽三十六景』の画集を贈った。富士山が描かれている景色と、その手前に描かれた日々の暮らしから、人々の仕事と移り変わる四季を読み取っていた。

ファウストは一度ミラノに帰り、荷物をまとめて家を空けた。元恋人のヴェロニカは「いつだって周りのことなんてお構いなしで、自分だけ幸せな脱成長ごっこに夢中なのね」と厳しい言葉を言い放つ。家は売ったが、大半は残ったローンの返済に充てられた。

山に戻ったファウストは、サントルソが事故に遭って運ばれたと聞いた。麓の病院まで見舞いに行ったが誰もおらず、身寄りがないのかと疑った。サントルソは見舞ってもらった礼に、ファウストに夏の仕事を紹介する。役所が林の間伐をするので、コックとして同行することだ。

一方シルヴィアはフォンターナ・フレッダの2倍の標高3585mのモンテ・ローザで働くことに。モンテ・ローザの過酷な氷河を目指して、案内人のパサンとともにセッラ小屋を目指した。

フォンターナ・フレッダ三十六景

ファウストは休みにモンテ・ローザまで登りシルヴィアと再会した。再開して気が付いたのは、ファウストは以前よりも少し生き生きとして逞しくなったこと。シルヴィアは山に疲れて少しやつれていることだ。

夏の終わりごろ、ファウストはセッラ小屋まで行き、シルヴィアに誕生日プレゼント「フォンターナ・フレッダ三十六景」を渡した。ファウストの手書きの短編小説だ。

彼はバベットの店を引き継ぐことも伝えていたが、シルヴィアの反応は思ったようなものではなく、2人の関係の潮時なのかもという雰囲気が漂っている。

人と山

人の山に対する考え方は、そこに暮らす人と、遠ざかっている時ではずいぶんと異なるものだ。遠くで考えると山の現実はぼんやりとした抽象的な概念になり果ててしまう。北斎の絵の奥に小さく描かれた富士山のような、てっぺんに雪をかぶったただの三角形になってしまう。

作者(パオロ・コニェッティ)自身、作家として行き詰り、この実在するレストランで2年ほどコックとして働いた実体験が反映された物語。

そして葛飾北斎が物語のモチーフ、小道具として重要な役割を果たしている。

今この瞬間を生きる人々の暮らしぶりと、そんな人間たちに無関心な泰然自若としていつもそこにある山とのコントラストを描いている。

感想・書評

それほど長い本でもなく200ページちょっとを36章に細切れにしているので、サクサクと読み進めやすいです。読み終わった後も、それぞれの章をかいつまんでショートのように読めるのが魅力的な本でした。

話全体では舞台となる山の話がメインなので、登山経験などがあるとより想像しやすいですね。アルプスで1000m登ることは北に1000㎞移動することに近しいという話。標高が上がることで気候や植生が変わるのですが、フォンターナ・フレッダが1815mでそれを北移動に換算するとデンマークやノルウェーに相当します。北極点なら5000㎞弱だからモンブランの頂上といったところ。山登りがはるか遠くへの旅に類似した経験を得られる新たな視点の魅力でした。

ファウストとシルヴィアの2人の恋愛は、前半は甘くきざったらしい雰囲気でしたが、後半にかけてふわふわと自然消滅していきそうな怖さもあります。山のレストランは季節労働であり長く一緒にいられるわけでもない。2人は年齢も未来も山に対する気持ちも違うところがあって、恋愛模様の変化と人生の移ろいが表現されているようでした。

ファウストの魅力

フォンターナ・フレッダで得た教訓は「食事の支度をする人間は常に必要とされているが、書き手の需要は高くない」

作家としてうだつの上がらないファウストですが、彼には人間的な魅力はあって、まず山に移住してあっさりと仕事をみつけたこと。そして出会う人それぞれ、うまく関係を手繰り寄せて山での暮らしに溶け込んでいったこと。

彼の作家業が大成するかは分からないけど、ここでの暮らしが幸せなものになっていくような予感は感じられました。

そしてなぜタイトルが「狼の幸せ」なのか。

山ってやつは狼と風の領分だからな。

38p 6章 倒れた森 サントルソ

木々は動物とは異なり幸せを求めてどこかに行くことができないので、種が落ちた場所で幸せになるためにどうにかするしかない。草食動物は牧草を追って移動する。

しかし不思議なのは狼で、なぜか落ち着かず移動を繰り返して不可解な本能に従って動く。どこかで獲物があふれていても何かが定住を妨げせっかくの恵みを放り出し、常に新天地を求めている。雌のにおいを追い、群れの遠吠えを追い、明確な目的もなかったりもして。

ファウストはそんな狼だったようです。ファウストに限らずシルヴィアも、バベット、サントルソも。どこかで合理的な判断とはかけ離れた選択のもと、狼のようにフォンターナ・フレッダに辿り着き、また別の世界に移っていくのかもしれません。

イタリアの食について

ファウストが山男たちにふるまう食事や、イタリア独自の食事メニューが出てきます。

例えばポレンタというメニューがあります。聞いたこともありませんね。コーンミールを粥状に煮たイタリア料理で、粗挽きトウモロコシ粉を沸騰した湯やだし汁に振り入れて煮て、焦げ付かないようにこねながら煮上げるもの。

また、グラッパというお酒が度々出てきます。イタリアで定番の食後酒で、ワインを造る際のブドウの絞りかすを使った蒸留酒。果汁以外にも種や皮も含んでいることや、白ブドウだけではなく黒ブドウも使うのがブランデーとの違い。作中では松ぼっくりを入れた飲み方なども登場しましたが、ストレートで飲むのがメジャーです。エスプレッソに少量混ぜるカフェ・コレットという楽しみ方もあるみたいです。

イタリアンレストラン ルーチェ

以前、羽田空港の近くのホテルに泊まった際、近くのイタリア料理店で飲みました。

この本を読んでいたからグラッパというのが初めて目についたのでしょうね。アルコール度数は40度くらいできついけど、ほんのりレーズンのようなブドウの香りがあって食後にぴったりでした。

ちなみにグラッパはサイゼリヤでも普通にメニューにあったみたいです。

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